ライバルの朝日記者はこの前まで大学で教授を吊るし上げていた活動家だった 元産経記者が語る「メディアの左傾化」
教授を怒鳴っていた彼だった
そこでやっと思い出した。大学4年生の頃、成績は低空飛行で、「不可」が一つでもあれば、履修単位が足りずに留年という瀬戸際だった。その後期試験で降って湧いたのが「学費値上げ反対スト」だった。早稲田に文字通り、赤旗が舞った。ストライキになれば、試験はなくなり、レポート提出で事足りる。当時、僕のように手に汗を握って推移を見守った一般学生は大勢いただろう。 「団体交渉」という名のもとに、学生委員会の委員長が渉外担当の教授と交渉する。 とはいえ、交渉といっても名ばかりで、事実上はまるで文化大革命の吊るし上げみたいなもので、政経学部の学生委員長が「お前じゃダメだ、学部長を出せ。良いから出せ」とハンドマイクで教授の耳元で怒鳴り散らしていた。 毎日新聞の女性記者の嬌声で、そのときのことがふと思い出された。 「学部長を出せ。お前じゃ話にならない」 朝日のNくんは教授の耳元で怒鳴り上げていた学生委員長その人だったのだ。 その吊るし上げ集会は早稲田の3号館前の広場で行われていた。誰かが「法学部はスト突入」と叫び、ウワーッという歓声が上がった。 「文学部もスト突入!」 またウワーッと大歓声が上がる。 しかし、政経学部はNくんの怒声と「学部長を出せ」の繰り返しで、埒(らち)が明かない。冬の昼は短い。辺りは闇に包まれてきた。 「ひょっとしたら、政経学部だけ筆記試験をやることになったりして。そうなったら終わりだ」と気が気でなくなってきた。1期下で仲が良かった友人と正門のそばにある地下の喫茶店に入ったり出たりを繰り返したが、なかなか決まらない。 「また行ってみようか」と1時間ほどして、友人と連れ立って喫茶店を出て、3号館に行くと、まだやっていた。 「商学部でスト決行!」「ウワーッ」と歓声が上がった刹那(せつな)、友人がブチ切れた。 「いつまで同じことやってんだ、バカ野郎」 とそばにあった立て看板を蹴ったのだ。 「ガーン」と大きな音がしたので、Nくんら学生委員会の幹部連中とその取り巻きの目が一斉に僕らに注がれた。 「バカ、逃げるぞ」と言って、校外まで全速力で逃げた。誰も追ってこなかった。ストは夜遅くに決まった。あのときにハンドマイクで叫んでいた青年が朝日に入り、やきもきしていた成績低迷の僕は産経に入社した。