ギャグに著作権はある? 権利を主張する人が急増するいま、知らないと絶対に損をする「権利の考え方」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】ギャグに著作権はある? 知らないと絶対に損をする「権利の考え方」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
ギャグに著作権を認めたら?
近年、国民的大ヒット曲が出ない。娯楽や嗜好の多様化、音楽の聴き方の変化など原因はいろいろあるが、その1つに、曲の権利管理が強化されて、街中などで不特定多数の人々に曲が聴かれなくなったことがあると私は思う。 昔は「また逢う日まで」とか「女のみち」など、街に出ればどこからともなく聞こえてきて、老若男女、幼児までいつの間にか覚えてしまったものだった。しかし今では、たとえば店主が、自分が経営する店でビートルズの曲を客の前で弾き語りしたところ、JASRACから曲の無断使用で著作権侵害だと訴えられる始末である。 もちろんJASRACの仕事の意味はわかっている。作詞・作曲者の著作権を守り、曲の使用料をきちんと確保して本人に還元するためだと。にしても、一般人が自分の店の中でわずかの客の前で歌うとか、美容室でCDを流すとか、音楽教室で教材として使うとかにまでいちいち目を光らせなくても、と思う。 著作権の権利強化に対しては法哲学界では批判的な議論がある(森村進『自由はどこまで可能か』)が、一応ここでは百歩譲って、曲の無断使用によって作詞・作曲者の著作権が無闇に侵害されることを何としても防がねばならないとしよう。 しかし、曲が大ヒットするためには、まずはそれが街の多くの人々の耳に入り、印象に残る必要があるのではないか。 昔、自分のギャグをパクられたお笑い芸人が「ギャグに著作権を認めよ」と言ったことがあった。まあそれ自体もギャグなのだが、もし本当にそうなったらどうなるだろう。たしかにギャグも創作物だが、それはとりあえず他人に真似されないと流行らない。 真似する毎にご本家に使用料を支払わねばならないなら「ちょっとだけよ」も「ひがしむらや~ま~」もあんなに流行らなかっただろう。あれらは全国の子供たちが無邪気に真似したことで国民的ギャグになったのだ。私も中学の体育の時間に「ちょっとだけよ」をやっては教師に怒られていたものだ。 創作者のインセンティヴを保つために著作権をある程度守るのは大切だということはわかる。でも、芸能事にはあまりギチギチにうるさく権利権利言わない方が結果的にはアーティストにとってよいのではないかと思う。