「あいつらだけはマジで許せない」…人類学史上、はじめてフィールドワークに飛び出した男が日記に書き殴った「衝撃の愚痴」
「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 【画像】なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
葛藤が詰め込められた日記
100年前、人類学の分野で初めて本格的なフィールド調査に乗り出した男がいました。ポーランド生まれのブロニスワフ・マリノフスキです。彼はフィールドに出かけて長期間にわたって現地に住み込み、その土地の言語を身につけて調査を進めました。 マリノフスキを語る上で欠かせないものがあります。日記です。 マリノフスキはフィールドにおいて、自身の葛藤を詳細に綴った日記を残しています。それは、誰と誰が父子であるとかキョウダイであるとか、調査の中で分かったことを整理するためのフィールドノートとは別に、日々自分の心の中で起きていることを記録したごくごくプライベートな日記です。 彼は初回のマイルー島と3回目のトロブリアンド諸島での調査の際、ポーランド語で日記を付けていました。それらは私的なものだったので、マリノフスキ自身がずっと持っていました。 ですが1942年、マリノフスキの死の直後に、彼の友人が研究室で蔵書と原稿を整理している際、たまたまその日記を発見したのです。そしてその日記は英訳され、後の1967年に出版されることになります。 驚いたことに、『マリノフスキ日記』には、現地の人々に対する嫌悪感や敵意などが露骨に綴られていました。それは20世紀の人類学を切り拓いた偉大なマリノフスキというヒロイックな偶像を破壊する衝撃を各方面に与えました。 『マリノフスキ日記』の内容を取り上げて、彼自身の人格や調査者としての倫理の問題を指摘するのは簡単なことです。ですが、それは短絡的な捉え方ではないでしょうか。 私はむしろ、この日記を、あるがままの現実を知りたいという熱意を抱き、慣れない場所で調査を続けるマリノフスキが、心の奥底から絞り出した苦悩や希望、不安を吐露した資料として読むことが重要だと考えています。フィールド日記には個人的な心情が綴られているだけでなく、調査研究につながる重要な記述も多く含まれています。ここでは、マリノフスキの業績を「民族誌」と「日記」の、2つの「合わせ技」として捉えてみたいと思います。