所信表明演説でわかった「石破茂」が当選できた本当の理由《石破最新刊の編者が明かす》
石破茂総理の所信表明演説が終わった。総理の最新刊『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社刊)を編集した毎日新聞名物記者が、石破総理誕生の真の理由と因縁を明かす。 【写真】再逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カット
「もはやこれまで」と言われて
前言撤回の数々で、どうにも様にならないスタートを切った石破茂政権だが、所信表明演説でようやく石破らしさが出てきたか。 自民党総裁に選ばれたのが9月27日。この1週間は怒涛の様に時が流れたことだろう。政権基盤のもろさに切歯扼腕することがあったかもしれない。ただここで少し立ち止まって振り返ってみることだ。なぜ、どうやって自分が権力中枢のトップに立つことができたのか。それまでにどういう屈辱と苦労の積み重ねがあったのか。 そんな簡単なことではなかったはずだ。少なくとも3つのミラクルが重ならなければ石破政権はありえなかった。1つの興味深い因縁もある。 ミラクルの1は、総裁選5度目の正直、である。 自民党史上、例のないチャレンジであった。あの小泉純一郎でさえ、3度目の正直(1995年、98年、2001年)だったが、それでもギネス記録といわれたものである。 石破の場合は08年、福田康夫首相退陣に伴う総裁選が最初であった。麻生太郎が本命で、与謝野馨、小池百合子、石原伸晃が立候補、石破も当時の津島派(旧経世会系)から一人若手を出そうと担ぎ出された。結果は25票、立候補者5人中最下位に終わった。 二度目が、12年の総裁選だ。林芳正、石原伸晃、町村信孝、石破茂、安倍晋三の5人による争いで、本命の石原伸晃が失言で転落、石破vs安倍対決になった。第一回投票では石破が199票(地方165票、国会議員34票)でトップだったが、決選投票では89票と、108票の安倍に逆転負けした。陣営は勝てると読んだが、石破本人は「なんとなく自分ではないのではないか」と冷めた思いで見ていた、と述懐している。 三度目は、18年の総裁選で、3選を目指す安倍との一騎討ちだ。安倍一強の包囲網の中で善戦したものの、安倍553票(議員票329 党員票224)、石破254票(73 181)に終わった。 そして四度目が20年。ポスト安倍を菅義偉、岸田文雄と争い、菅377票(国会議員票288 都道府県代表票89)、岸田89票(79 10)、石破68票(26 42)と完膚なきまでに敗北、石破派(水月会)会長辞任に追い込まれた。メンバーの一人から「もはやこれまで、ではないでしょうか。石破さんには、斎藤隆夫さんという生き方もあるのでは」と言われたことがまだ耳に残っている。 斎藤隆夫とは、戦前の帝国議会において、立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入に抵抗、いわゆる「粛軍演説(反軍演説)」で議会を除名された政治家だ。首相という道を諦め、正論を語る国会議員としての道を歩んでほしい、という趣旨であった。