「90年代のHIPHOPシーン」実際はどんな感じ? DJ MASTERKEY&DJ KROに聞く“試行錯誤の時代”
BUDDHA BRANDのDJ MASTERKEYが90年代当時のHIPHOPについて語った。 ライフスタイルレーベル・Chilly Source主催のDJ KROもゲストに招いて話を訊いたのは、J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。オンエアは5月21日(火)。
90年代は試行錯誤の時代
『SONAR MUSIC』では、さまざまなジャンルの大先輩を招き、調べるだけではなかなかつかめない当時のリアルな空気感を共有してもらう新企画を実施。今回は「おしえて大先輩! あの頃のHIPHOP」と題してDJ MASTERKEYに話を訊くことに。 1989年ニューヨークで出会った日本人DEV LARGE、NIPPS、CQ、DJ MASTERKEYの4人は「うわさのチャンネル」を結成。1995年にBUDDHA BRANDとして帰国。96年には代表曲の1つとなる『人間発電所』でメジャーデビューした。 KRO:昔の90sのHIPHOPの黄金時代をまさに現地ですごされて、ニューヨーク仕込みのHIPHOPを日本にというところが、めちゃくちゃDJとして最高です。 あっこゴリラ:日本にHIPHOPというものがそこまで浸透していない、いわゆる第一世代というか早い時期じゃないですか。まだ黎明期だからそれこそ面白そうというか。 KRO:ゼロから作ったみたいな感じですよね。 DJ MASTERKEY:出来上がっていなかったから、いろいろみなさん試行錯誤していました。いまラップは韻を踏むのが当たり前で、みなさん韻を踏むのが上手ですが、そのころはそこまでいけていなかったし、試行錯誤の段階だった時代だと思います。 あっこゴリラ:黎明期のラッパーの方々のビートもそうですが、めちゃくちゃ“濃い”です。リリックも味が濃い。 DJ MASTERKEY:濃すぎだから。 KRO:忘れられないですよね、耳に残っちゃう。言っているリリックも「よくわからないけどすごい刺激」みたいな感じです。 DJ MASTERKEY:それが正しい(笑)。突き刺さる感じがあるよね。 KRO:MASTERKEYさんにとってBUDDHA BRANDはどんな存在ですか? DJ MASTERKEY:足向けて寝られない存在。あの3人と出会ったことが、いまの自分のここに結びついているということを考えると、あれは必然なのかなと。 KRO:ターニングポイントみたいな感じですよね。MASTERKEYさんがいなければBUDDHAは生まれてないですからね。 DJ MASTERKEY:実は俺が(メンバーに)会っているんだよね。DEV LARGEも最初に、バイトしているところにDEV LARGEがいてさ。もっとすごいのはNIPPSさんが当時ニューヨークのロックフェラーセンターにあるテレビ局のバイトをしていたんです。俺は日本の家族に自分の安否を知らせるのに『ズームイン朝』に行くしかなくて。気軽に電話もできなかった時代ですから、そういうこと(カメラに写り込む行為)をやっていました。そうしたらNIPPSさんが「HIPHOP好きでしょ? このあと話さない?」って。それがきっかけで仲よくなって。 KRO:まさかのそんなニューヨークでの出会いが。 あっこゴリラ:なにそれ! もう映画だ(笑)。