道頓堀で異彩を放つ「上方浮世絵館」の夫婦人情物語
役者の「個性」を描く上方浮世絵
上方浮世絵とは、江戸時代後半から明治時代初期まで、主に大坂で作られていた浮世絵版画のことだ。浮世絵は1765(明和2)年頃、江戸の浮世絵師・鈴木春信らによって版木を摺り重ねる多色摺りの技法が考案された。版画は同じ作品を何枚も摺ることができることから、安価で色鮮やかな浮世絵(錦絵)が、江戸庶民の間で大人気となった。 一方、京・大坂を中心とする上方では当時、商売で力を得た町衆がお抱えの絵師に掛け軸などの絵を描かせる、肉筆で描いた一点物の絵画が主流だった。しかし、1791(寛政3)年ごろには錦絵の流行が上方へも伝播、大坂でも浮世絵が作られるようになった。 館長でオーナーの高野征子(たかの・せいこ)さん(86歳)は言う。 「上方浮世絵の特徴は、その大半が役者絵であること。江戸の歌麿や北斎らが描く、美人画や名所絵は、上方では本当に数が少ないのです。その理由として、上方では美人画や名所絵は肉筆で描くもの、つまり、お金がある上流階級が楽しむものといった風潮があったのでしょう。量産できる版画の役者絵は、今でいうブロマイドとして庶民が買い求めたのだと思います」 もちろん、江戸の浮世絵にも役者絵はあるけれども、上方の役者絵は、江戸のそれよりもリアルであること、視線が強いことが特徴だそうだ。鼻が高い役者は鼻を高く、太っている役者は太った姿をありのままに描くのが上方流。歌舞伎でも、型を重んじる江戸歌舞伎に対し、上方歌舞伎では実(じつ)を重んじるように、同じ役者絵でも東西の違いがあるのが面白いわねぇ。
浮世絵摺り体験に挑戦
4階のイベントスペースでは、浮世絵摺りも体験できる(要予約)。 まず、山桜の版木の出っ張った部分に絵の具をささっと塗る。すぐに絵の具が乾いてしまうので、スピードが必要だ。続いて版木の上に少しだけ糊(のり)を落とし、馬毛(うまげ)のブラシで馴染ませたところに和紙を乗せる。版木には「見当(けんとう)」と言って、和紙を乗せる目安が刻まれていて、これが、予想や目印を表す言葉「見当」という言葉の語源となっている。和紙を置いたら、馬楝(ばれん)で絵の具を和紙に写し取る。この作業を色の数だけ繰り返すと、多色摺りの浮世絵が完成する。 どの作業も一発勝負で、迷いがあると失敗する。私が体験したのは「弁慶の隈取り」で、3色摺りの単純な模様だったが、それでも3枚の版木の見当を合わせて摺るのは緊張した。もっと複雑で、線の細かい役者絵などを摺っていた昔の職人さんたちの技に驚く。何でもそうだが、見るは易し、行うは難し、やよねぇ。 浮世絵に興味を持っている外国人は多いらしく、私が摺り体験をしている間だけでもインバウンドのお客さんが2~3組、4階まで上がってこられた。海外では「OSAKA PRINTS」として大英博物館やカリフォルニア博物館などにも収蔵され、浮世絵を収集していたゴッホも、上方浮世絵を持っていたという。 ところで、なぜ、この場所に上方浮世絵館があるんやろう?