道頓堀で異彩を放つ「上方浮世絵館」の夫婦人情物語
上方浮世絵館の前身はオールナイト喫茶
高野征子さんは、淡路島の洲本市・二ツ石の出身で、子供の頃から物語を作るのが好きだった。おばあちゃんから石川五右衛門の釜ゆでや、毒饅頭を子供に食べさせる伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)などの話を聞いて育ったこともあり、征子さんにとって歌舞伎や浄瑠璃は身近なものだった。 大阪へやってきた征子さんは高野一郎さんと結婚し、1960(昭和35)年頃、法善寺の門前で「法善寺喫茶」という名前の喫茶店を開いた。それが、今の上方浮世絵館がある場所だ。オープン当初は普通の喫茶店だったが、他の喫茶店との差別化を図るため、オールナイト営業に転向した。何と「上方浮世絵館」の前身は、オールナイト喫茶だったのだ。 オールナイト喫茶が、ミナミに何軒かあったことは覚えている。深夜料金は昼間の倍近い値段だったが、終電を逃したりした時に朝まで時間をつぶすことができた。「法善寺喫茶」には、若き日の和田アキ子もよく訪れたという。 夫の一郎さんは1983(昭和58)年に病気で亡くなったが、征子さんは仕事を続けた。1989(平成元)年には道頓堀通りに、2階にギャラリーのあるレストランバー「ブルーナイル」をオープン。ある日、そのギャラリーで浮世絵の展示会が開催されたことをきっかけに、上方浮世絵にのめり込んだ。 「もう感動しましてね。それから、収集家の方に教えを請うて浮世絵を勉強、収集し始めたんです。外国人のコレクターの方からも購入しましたね。もちろん、息子や娘らは猛反対です。せやから、家族には内緒で、そうっと買ってました。そんなこともあって、収集した枚数は公表してないんです」 法善寺喫茶があった場所に、4階建てのビルをイチからデザインして私設美術館として建て替え、2001(平成13)年4月28日に「上方浮世絵館」はオープンした。 当初、「えらい道楽して!」と反対した家族も、館を手伝ってくれるようになった。今では英語が得意なお孫さんが、海外向けのYoutubeチャンネルや多言語パンフレットの制作等を担当、海外への発信を強めている。