大失態!? 冬の海外移籍で苦しんだ日本人選手10人。難しいタイミング? 適応に苦しんだ実力者たち
MF:山口蛍
生年月日:1990年10月6日 移籍先:セレッソ大阪→ハノーファー(ドイツ) 移籍日:2015年12月21日 アルベルト・ザッケローニ監督の下で序列を上げていた山口蛍は、2014年に行われたブラジルワールドカップ(W杯)で全3試合に出場。日本代表の中心メンバーとなる中で、2016年冬の移籍市場に満を持して欧州移籍を決断した。 当時のハノーファーは酒井宏樹と清武弘嗣が所属しており、日本人選手もいることから適応には困らないと思われていた。しかし、前半戦を降格圏の17位で折り返すなどチームの調子が良くなく、山口の獲得が発表された同日にミヒャエル・フロンツェック監督が自ら辞任を申し出ていた。 移籍発表直後に監督が辞任するという異例の展開の中、山口は後半戦の2戦目となったダルムシュタット戦でブンデスリーガデビューを飾る。しかし、トーマス・シャーフ新監督の下でもチームの調子が上がることなく、出場した6試合は1勝5敗と散々な結果に終わった。 3月の代表戦で鼻骨骨折および左眼窩底骨折の大怪我を負うと、そのままシーズンが終了。ハノーファーも2部降格となり、6月19日に山口のセレッソ大阪への復帰が発表された。
DF:小林友希
生年月日:2000年7月18日 生年月日:ヴィッセル神戸→セルティック(スコットランド) 移籍日:2022年11月23日 小林友希は、2022年にヴィッセル神戸でレギュラーに定着していた。希少な左利きということもあり、日本人で有数のセンターバック(CB)として注目を集めると、シーズン終了後にセルティックへと引き抜かれた。 しかし、スコットランドの強豪での日々は難しいものだった。アンジェ・ポステコグルー監督が率いていた2022/23シーズン後半は公式戦7試合に出場したが、同監督がトッテナムに引き抜かれたことに伴い、ブレンダン・ロジャーズが新監督に就任すると、露骨に出場機会を減らした。 セルティックは2023年夏の移籍市場だけで、マイク・ナヴロツキ、グスタフ・ラガービエルケ、ナット・フィリップスという3人のCBを獲得。これによって一気に小林の序列は6番手まで下がり、2023/24シーズンはまさかの0試合出場に終わった。 1年間まったく試合に出場することができなかった小林は、2024年夏の移籍市場でポルトガル2部へと降格したポルティモネンセへと完全移籍。第15節終了時点で8試合に出場と、まずまずの出場機会を得ているが、チームは18チーム中16位と苦戦している。