三菱商事勤務、3x3を経て32歳でWリーグデビュー インカレMVP・桂葵はなぜ異例のバスケ人生を歩んできたのか
【もっと違う世界を見るために競技に区切り】 ――そして早稲田大を卒業して、バスケは続けずに三菱商事へ就職されました。 「ここまでお話ししたようなことがバックグラウンドにあったので、自分にとってはそれほどサプライズな選択でもなかったんです。日本代表の合宿に参加していた時も、就活のために午前中の練習を休んでスーツを着て就活に行き、スーツのまま帰ってきて午後からの練習に合流する感じでした。周りの人たちからしたら、『桂ってそういう人だよね』みたいに見られていたと思います」 ――なるほど。 「バスケはすごく好きだったんですよ。特に大学4年生の時はすごく楽しくて、もっともっとうまくなるんじゃないか、続けたいと思っていたんですけど、でもバスケ選手として出会える人には出会い尽くしたという気持ちが大きかったんです。もっと全然、違う世界、価値観を持っている人たちに出会ってみたいなというのが当時の一番の思いですね。 あとは、バスケ界でチヤホヤされていたことにも違和感がありました。大学4年生の時にはしっかり結果を残せましたけど(インカレ優勝、大会MVP)、それまで国内では結果を残せておらず、私が評価されていたのは実績ではなく持って生まれた体格(高さ)や、そのわりに動けて器用というポテンシャルの部分だったと思います。加えて、文武両道で英語も喋れるみたいな部分も特別に見られていました。 一方で、家族のなかでは、私は"脳筋(=脳みそまで筋肉)"扱いされてもいました。多分、そういうのがバスケ界という自分が身をおいている世界と一般社会とのギャップなんじゃないかというのも少し怖くて。それでもっと違う世界を見たいというポジティブな理由と、自分が井の中の蛙なんじゃないか、違う世界で何もないところからチャレンジしてみるのも面白いんじゃないか、というのが当時の思いですかね」 ――そして入社してから3年のブランクを経て3x3で競技に復帰。2022年には三菱商事を退職して日独合同のクラブ「デュッセルドルフ ZOOS」を設立し、選手兼オーナーとして世界最高峰の3x3プロサーキット「FIBA 3x3 Women's Series」に参戦しました。 「3年間、まったく運動をしていなかったんですけど、バスケは好きなまま辞めていたので、段々とやりたくなってきていました。ただ昔の自分と比べるのも嫌だったので、5人制には足が向かなかった時に、3人制の女子の国内リーグ、EXEのプレミアリーグ(3x3.EXE PREMIER JAPAN)ができるタイミングでもありました。それでやってみたいかもしれないと、軽い気持ちで始めました。 ただ、軽い気持ちで始めたんですけど、新型コロナウイルスの影響でリモートワークが増えて通勤時間分だけ練習時間がしっかり確保できるようになったんです。当時はBEEFMAN.EXEというチームに所属していたんですけど、チームメートだった前田有香さんとトレーニングや練習をいっぱいしていたら自分でも見違えるくらいコンディションが上がって、どんどんうまくなっていく実感が出てきた。その時、28歳、29歳だったんですけど、30手前でしたし、もうちょっと上、自分がどこまでいけるのかチャレンジしたいというのが一番の動機でした あとは有香さんが国内の3x3シーンで誰よりも早く人生をかけた人で、この人とやっていきたいというのがありました。有香さんもワールドツアーに出てみたい意欲が強かったんですけど、有香さんは私の8歳上だったので、早く連れていかなきゃというのもあって、会社を辞めてZOOSを作ったんです」