【ロング鼎談……?】小池貞利(the dadadadys)×橋本薫(Helsinki Lambda Club)×モリタナオヒコ(TENDOUJI)
――「何していいかわかんない」って中で、みなさんはどうやって自分たちのスタイルを掴んでいったんですか? 橋本 マジで、右も左もわかんない状態で、ただただやってたって感じ。 ――TENDOUJIは最初からレーベルを作ったりして、外のあれこれに左右されない形を自分たちで作っていた感じもしますけど。 モリタ でもそれも、とりあえず誰かが言ったことを面白がるというか、「やってみようよ」って言われたら「いいね、よくわかんないしやってみよう」みたいな感じだったんです。「このバンドいいよ」って言ったら「いいね」みたいな。それで一緒にやって友達になって、それこそ対バンするってなったら、ライバルだからバチバチみたいなのがやっぱりあったんですよ、他のバンドを見てると。でも俺らだけは全力で、もう心の底から盛り上げてたんですよ。最前列で「うわー!」みたいな。たぶんLucky Kilimanjaroでダイブしたの俺らぐらいだと思う(笑)。 橋本 はははははは! モリタ でもそういうのの皺寄せもあって……すみませんね、話が長くなって(笑)。ノリでマネージャーみたいなやつを入れたら、そいつが金パクっていなくなったりして。そのぐらいの時期からだんだん変わっていった。そういう時期にtetoとも出会ったんですよ。その当時のサダちゃんはガチで「は?」みたいな。「なんで他のバンド褒めなきゃいけないんですか?」ぐらいの感じだったから「おお」と思って。そういうマインドって、確かに自分にはなかったから面白いなと思ったんですよね。 橋本 でもライブを初めて観た時のサダちゃんは、その軌道に乗り出した頃のサダちゃんとはちょっと違った気がします。なんか、もうちょっと柔らかさがあった。柔らかさというか、ちょっとナードっぽさがあったんです。でも「Pain Pain Pain」とかがバズり出したあたりで、たぶん彼の中でも――勝手に分析してるんですけど(笑)。 モリタ 本人いないから(笑)。 橋本 そこでちょっと確信を得た部分があったんじゃないかなと思います。自分のやり方を見つけた感じがありました。だからUKプロジェクトに入ってきた頃には「あ、こんなにクレバーなタイプなんだ」っていう印象を持ってました。僕は本当に頭悪いというか、空白の時に出てきたバンドだったし、CDもちょうど売れなくなってきて、でもまだサブスクとかも出てない時期で、「どうやって売れてったらいいんだ?」とか、いろんな迷いがある中でずっとやってた感じですけど、サダちゃんはなんか見えてる感じがちょっとして。そういうのはやっぱり脅威でしたね。 ――the dadadadysがスタートして2年、現在の5人体制になって1年ぐらいですけど、今のサダくんというのはどんな感じですか? 橋本 なんか、この言い方が正しいのかはわからないですけど、ひとつ憑き物が取れたっていう感じがします。 モリタ ははははは! 橋本 ちょっと肩の荷が降りたんじゃないかなと思いつつ、でも新たな迷いももしかしたら出てきてるのかもしれないですけど、バンドをやるっていう意味では健全なマインドに映りますけどね。最近のサダちゃんを見てると。 モリタ でも、難しいですよね。バンドを解散っていうか、名前変えたりするのって俺は経験がなくて。信じられないくらいショックだと思うんですよ。だからその心境の変化って、わかるようで全然わからないというか、俺が考えてるよりもっともっとショックだし、考えただろうし。だからあんまり気安く言えないなとは思っちゃうんですよね。めちゃくちゃ天邪鬼なやつだから、俺たちに本心は言わないだろうなと思うし、たぶんインタビューでも言わないと思いますけど。 ――うん、言わないでしょうね。 モリタ でもたぶん唯一思っていることは、「もう解散したくない」じゃないですか? バンドって一瞬の輝きだと思うけど、解散するまでには単純に人とケンカしたり、罵詈雑言言われるみたいな局面もすごくあったと思うから。自分だったらメンタルが耐えられるかわからない。絶対に前にやってたバンドと比べられるし。でもすごい才能の持ち主だと思っているから、ただただ続けてほしいというか、たぶんもっとすげえものを作ろうというのは思っているんだろうなと思います。