柯文哲被告、波乱万丈の10年 清廉な“政界のスター”から一転/台湾
(台北中央社)収賄や政治献金横領の罪などで26日起訴された第2野党・民衆党の柯文哲(かぶんてつ)党主席(党首)。外科医出身の柯氏は2014年の台北市長選で当選して政界入りし、歯に衣着せぬ物言いや清廉な印象で支持を獲得した。一時は“政界のスター”と見なされた柯氏の栄光と転落の10年に対し、政界では「南“柯”の夢」(人生がはかないことの例え)との声も上がっている。 柯氏は1959年、北部・新竹市生まれの65歳。台湾の大学で最難関の台湾大学医学科を卒業し、35歳で台湾大学医学部附設医院の主治医兼外科集中治療室(ICU)主任に就任した。だが2011年、HIV感染歴があるドナーの器官を別の患者に移植する医療ミスが同医院で発生し、柯氏は懲戒処分を受けた。これが政界入りの契機となった。 かつて自身を「深緑」(熱心な民進党支持者)だと語っていた柯氏。14年、民進党とタッグを組んで無所属で台北市長選に初挑戦した。国民党に逆風が吹いた同年の「ひまわり学生運動」の勢いと政治素人として率直に発言するというイメージから、台湾全土に「柯P」(柯氏の愛称)旋風を巻き起こし、国民党の牙城だった台北市長の座を奪うことに成功した。 18年に再選を果たし、19年には「台湾民衆党」を結成。同党は20年の立法委員(国会議員)選で比例区で5議席を獲得し、国政に進出した。柯氏は22年に任期満了で台北市長を退任すると、24年1月の総統選出馬に向けた準備を積極的に進めた。総統選ではインターネットやSNSを駆使した広報戦略と若者や子育て世代向けの政策を組み合わせ、多くの若者の支持を獲得。また「青(国民党)と緑(民進党)を捨てて、台湾を守ろう」とのスローガンを打ち出した他、困難に負けない姿勢を象徴する「小草」(小さい草)を支持者のアイコンとして用い、国民党も民進党も支持しない中間派の有権者からも多大な支持を得た。最終的に総統選では敗れたものの、同日実施された立法委員選で党は8議席を獲得し、国民・民進両党ともに過半数割れした第11期立法院(国会)でキャスティングボートを握ることになった。 だが今年4月に入り、市長在任中に商業施設の建設を巡って事業者に便宜を図った疑いが浮上。8月には党の政治献金に関する報告書に誤りがあったことなどが発覚した。9月5日、柯氏は汚職の疑いで勾留された。この10年間、政界で勢いを見せ、国民・民進両党をにらみ付ける存在だった柯氏が手錠をかけられ、拘置所に移送される光景は政界に衝撃を与えた。 台北市長に就任した14年12月25日から、収賄罪などで起訴された24年12月26日まではちょうど10年と1日。この10年間、政党の第三勢力の“白の力”を一手に築き上げ、多くの支持者が見放すことなく、「阿北」(柯氏の愛称、「おじちゃん」の意味もある)を応援し続けてきた。 汚職事件でイメージに大きな打撃を受けた柯氏にとっては今後、裁判に直面するだけでなく、いかにして支持者と向き合うか、民衆党として大きな変化にどう対処するかが課題になる。白の力の動向が台湾の政局の行方を左右することだろう。 (郭建伸/編集:名切千絵)