KYBの免震ダンパー不正と過剰管理社会日本
ブラックボックス化する社会システム
また、技術が高度化し複雑化するにしたがって、構成部分のパッケージ化が起き、その内部は誰にもチェックできない、いわゆるブラックボックスとなる。特にコンピューター制御によってそれが加速された。 研究開発においても、昔はデータと計算の間違いをチェックできたが、現在はまったく不可能だ。コンピューターの膨大迅速な処理プロセスを人間が追いかけるのは、スズメがジェット機を追うようなものである。STAP細胞事件もそういう下地から起きてくる。 現代は大量のデータが瞬間的に処理されて社会が運営されている。ものづくり技術ばかりでなく、社会システムそのものがブラックボックス化しつつある。システムに事があれば、航空や銀行や株式市場の混乱も起きる。 そして技術の高度化によってさまざまな分野の複合が起きている。物理学と化学、機械工学と電気工学の境界も曖昧になり、生物も機械に組み込まれ、医療も介護も物理化している。ロボットやAIがこれを加速する。 免震・制震のシステムは前述のように、建築技術を機械技術に置き換えることで、これまでは建築安全の全体に責任をもっていた構造技術者も、機械部分は分からないという。その部分に強い機械技術者も、建築全体のことは分からない。その境界に問題が起きる。 福島第一原子力発電所の事故のとき、当該ゼネコンの技術者は、電力会社が主導していたので全体の安全に責任がもてず、しかもアメリカのスペックだったと発言した。ある学者は、屋上屋を重ねるように安全の委員会をつくったが、実に単純素朴な問題を見落としていたと発言した(いずれも私的な場であるが)。分野をまたいで組織が肥大したときに、安全技術のスキマができるのだ。
技術者の良い子化と現場の忖度社会化
さらにもうひとつ、現代日本人の性格の問題がある。技術者が良い子ばかりになっているのだ。 昔の技術者は意固地なところがあった。自分の専門に何か問題を感じたときは躊躇なく発言したが、今の若い人は周囲をおもんばかって異論を唱えない傾向がある。技術者には、それまでの慣行を破ってでも改善する勇気ある行動が必要だ。職場の平和を乱しても、上司にたてついても、筋を通す必要がある。今はそういうヤンチャだが本質を突く技術者が少なくなっている。平和で豊かな時代が続き、技術の現場にも、島国特有の忖度社会が復活しているということだろうか。