KYBの免震ダンパー不正と過剰管理社会日本
日本は過剰管理社会
もちろん、正確なデータとその扱いは科学技術者の命であり、改竄などあってはならないことであるが、それにしても、老舗トップメーカーにこれだけの不正と杜撰が相次ぐことに、現代日本のものづくり技術が壁に突き当たっていることを感じざるをえない。三つの理由が思い浮かぶ。 第一に、日本が過剰管理社会になり技術者が窒息ぎみであること、第二に、技術がブラックボックス化し多分野化していること、第三に、若い技術者が良い子になり現場が忖度社会になりつつあることである。 産業技術に関して、何か問題が起きるたびに、マスコミが集中的に批判し、監督官庁がそれに対応するので、次々に規制が厳しく細かくなっていく。近年は過剰管理というべき状況だ。管理、監督、検査、報告の業務が肥大して、技術者はその対応に疲弊し、本来の仕事に専念することができない。しかもその管理データはある一面の数字であり、現場技術の微妙な問題を反映しているとはいいがたいので、老練で自信がある技術者ほど、管理の数字を軽視することになる。 たとえば道路の速度制限でも、ほとんどの車が制限を超えて走る。制限どおりに走ると後ろから煽られて却って危険であり、多少の速度超過では捕まらないという妙な常識ができているのと同じように、規制の数字を軽視して「この程度までは大丈夫」とタカをくくるのだ。 設計事務所から大学の教官に転職した僕の経験でいえば、60年代までは規制が不十分で、いい加減な設計と工事が多かった。70年代、公害が問題となり、労働者と使用者の安全が重視され、さまざまな規制が設けられ、日本の建築業界はこれに応えて、安全で高性能な建築をつくりつづけた。しかし70年代後半から80年代には、その規制がやや過剰な様相を呈してくる。日影規制や排煙設備など日本特有の複雑な法令が成立し、外国の設計者や施工者はとても参入できず、アメリカはこれらを非関税障壁として攻撃した。90年前後が日本のものづくり技術のピークであったか。やがて日本の産業から競争力が失われていった。かつては日本に習おうとした海外の技術者も、今は「日本の技術管理は厳しすぎて参考にならない」といい出した。規制緩和の掛け声もあるが、容積率緩和など景気浮揚効果とデベロッパーの利益につながるものばかりで、産業技術に関しては規制強化一辺倒である。マスコミと政治家と官僚が一体となって、この国を管理化に向かわせる趨勢は簡単には止められない。 現在、大手設計事務所の仕事の多くは、本来の建築設計ではなく、合意形成のための調査と計算と図面書類づくりだ。決断力のない政治と経営のシワ寄せがすべて技術者に押し付けられている。