「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を考えたことはありますか?/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの最新刊『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
手を合わせて、心からの「いただきます」を。
文/塩沼亮潤 日本には、食事の前後に手を合わせて「いただきます」「ごちそうさまでした」と言う習慣があります。 実は、この「いただきます」「ごちそうさまでした」の前に唱える言葉が仏教の教えの中にあるのですが、その意味を要約すると次のようになります。 ●いただきます 幸せなことに、神仏のご加護と皆さまのおかげでご飯を食べることができます。この食事にどれだけ多くの人たちが関わっているのか思いを巡らせ、味付けや量に対する不平不満を言わず、感謝の気持ちで、いただきます。 ●ごちそうさまでした このご飯を食べることによって、自分の心身の栄養となりました。そして、しっかりと自分の役目を全うしながら、これから皆さんにご恩返しをしていきます。ごちそうさまでした。 あまりにも「あたりまえ」のことなので、自然にやっている人もいれば、いつの間にかやらなくなっている人もいるかもしれません。試験にも出ないし、塾でも教えてくれないことですが、この地球で生きている以上、みんなで共有しておきたい大切な価値観だと思いませんか?
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った最新刊『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。