南海ホークスメモリアルギャラリー 「大阪球場と南海ホークスを後世に語り継ぎたい」想いから描いた20年の軌跡
かつて昭和のプロ野球そしてパ・リーグの時代を築いてきた南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)。 1リーグ時代を含めリーグ優勝12回・日本一2回を成し遂げたパ・リーグの名門は、福岡に移り35年経った今もその歴史は燦然と輝いている。 かつて本拠地だった大阪球場の場所は複合商業施設「なんばパークス」と姿を変え、その9Fにある「南海ホークスメモリアルギャラリー」でその足跡を辿ることができる。 今回は南海電鉄グレーターなんば創造部の矢野到さん・廣田真由さんにお話を伺い、メモリアルギャラリー創設に至った経緯から現在までを振り返る。 (取材協力:南海電鉄)
「大阪球場そして南海ホークスを後世に」
エントランスから入ると右にはチャンピオンフラッグやレジェンドたちの使用品などが展示され、左には主な歴代OBの紹介パネルや年表がある。 メモリアルギャラリーはなんばパークスが開業した03年にオープン。今年で20週年を迎えた。ギャラリーをつくるに至った経緯を、矢野さんはこう説明した。 「ありがたくも南海沿線には今も多くのファンがいらっしゃいます。 我々としても、この大阪球場跡地にできたなんばパークスに何かを残していきたい。大阪球場そして南海ホークスを後世に伝えるべく、展示コーナーの設置を最初の取り掛かりとして始動しました」
球史に名を刻むOBからも直接寄贈
展示にあたり、電鉄本社には一部の賞状やフラッグ、トロフィーが残っていたのみだった。そのため、電鉄はオープンに向けて展示品を集めるべく奔走した。 「ギャラリーをつくる構想が挙がった時は鶴岡さん、杉浦さんがご健在でしたので、直接お話をさせていただきました。他のOBの方々にもご本人、ご家族の協力を頂戴しまして、ユニフォームやバットなどを寄贈・お借りさせていただいております」 ギャラリーには鶴岡監督のスタジアムジャンパーや南海最後の指揮官でもあった杉浦監督のユニフォーム、そして門田博光選手の2000本安打時のバットなど、ファンにとって感動する品々が並んでいった。 ギャラリーが充実していく中で、いい循環がつくられていった。その反応について廣田さんはこう語った。 「OBのお孫さんなどから、続々と展示品の寄贈をいただきました。それはまだストックしている状態ですので、どこかのタイミングで皆さん方にお見せできるように準備は整えていってます」
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