第一印象は「ボロいな」でも… 長崎・旧魚の町団地の再生 事業手がける30代建築士の思い
路面電車が行き交う大通りから少し奥まった場所にひっそりとたたずむ、長崎市の旧県営魚の町団地。築75年と戦後最古の同団地の再生事業を手がけるココトト合同会社(同市)共同代表の1人、伊東優さん(37)は同市出身。「歴史と現代が融合する長崎を象徴するような場所。単なる住宅開発ではなく人が集まる場所にしたい」と意気込んでいる。 小学6年の頃、父が日本を代表する建築家、原広司氏に設計を懇願し、雲仙市に自宅を建てて一緒に引っ越した。こうした影響もあり、東京大で建築を学んだ。大学の卒業設計で長崎市の斜面地を研究し最優秀賞を受賞。大学院に進んだ後、副賞の100万円で「長崎出身で縁を感じた」というオランダの建築事務所で修業した。 2012年に帰国した際はロッテルダムから中国・上海まで約1万6千キロを自転車で走破し、長崎に戻った。本紙の取材を受け「いつか建築家として長崎にオフィスを構え、仕事をしたい」と語っていた。 帰国後は大学院に戻り、東京の設計事務所に就職。28歳で独立したが仕事がなく、他の事務所の手伝いや家庭教師のアルバイトをして過ごした。そのころ、恩師と慕っていた画家が描いた湯殿山注連寺(山形県鶴岡市)の天井画を見に行った。「自分もこの場所で」と23年、山形に移住し「ツキノワ合同会社」を設立。町の公共施設の設計を手がけるなどしている。 魚の町団地の再生事業に乗り出したのは、知人から情報を聞き団地を見学したことがきっかけ。第一印象は「ボロいな」。しかし、歴史や価値に触れるうちに故郷で力を発揮したいとの思いや、建築士としてこの建物を残す使命を感じた。県が公募した運営会社に同社で手を挙げ、決定後にココトト合同会社を設立した。 同社は現在、団地の建物の改修を進めており、今月、事務所や店舗などとして使う入居者の募集を始めた。オープンは2月の予定で施設名は「魚ん町+(うおんまちプラス)」。人が集まるよう一部は賃貸にせず、住民や地域の人々が気軽に集える共有スペースとして整備。事業の立ち上げを支援するため、25年末まで家賃を割り引く制度も設けた。 「長崎市の“へそ”のような場所」。眼鏡橋などが残るレトロな街並みや市役所、マンションなどの住宅地、学校などが一帯にある魚の町を伊東さんはこう例える。「魅力的で面白い人たちが集まり、地域をより良くしていければ」。山形と長崎を行き来しながら、使命感に燃えている。 入居に関する問い合わせは同社ホームページから。