ブレイク前に「夜のヒットスタジオ」で…TUBE春畑道哉と角野秀行が振り返る“洗礼” 90年代に歌謡曲に目覚めたエピソードも
記録と記憶で読み解く 未来へつなぐ平成・昭和ポップス TUBE(全3回の第2回)
この連載では、昭和から平成にかけて、たくさんの名曲を生み出してきたアーティストにインタビューを敢行。令和の今、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービス(サブスク)で注目されている人気曲をランキング化し、各曲にまつわるエピソードを深掘りすることで、より幅広いリスナーにアーティストの魅力を伝えていく。 【画像】おなじみの“夏うた”だけじゃない!“冬うた”も…「TUBE Spotify再生回数ランキング」 ほか
今回も、2025年にデビュー40周年を迎えるTUBEから、ギターの春畑道哉とベースの角野秀行が登場。インタビュー第1回では、長らく“夏うた”の定番となっている「あー夏休み」と「シーズン・イン・ザ・サン」を中心に語ってもらったが、第2回でも、まだまだ盛りだくさんの“夏うた”について尋ねてみた。 その前に、当時の主要音楽番組の中で、彼らをいち早く登場させた『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)についてのエピソードを掘り下げてもらおう。当時、同番組は実績のないアーティストにとっては出演のハードルが高かったようだが、TUBE(当時はThe TUBE)の場合は、あるバンドがキャンセルしたことで、デビュー間もないブレイク前に急きょ出演が決まったという。 角野「その日、僕とドラムの松本(玲二)は江ノ島にいたのですが、当時は携帯電話もないので、なんと海の家の放送で呼び出されたんです。そこから急いで電車に乗って、東京のスタジオに行きました」 春畑「当時の番組プロデューサーは、怖かったですね。派手にやらなくちゃ怒られるんだけど、やり過ぎた時は、“お前ら、なめんなよ!”と言って怒鳴られるとか、普通にありましたから(笑)」 角野「『ヒットスタジオ』は、ひな壇に座って自分の出番を待っていますよね。その座っているあいだも、僕らは新人だから、“おい、チューブ、盛り上げろ!”とか言われて。そこには大御所の方もいらして、すごい緊張感でした。あと、ひとつのドラムセットを全員で使いまわしたり、アンプがすごく遠くにあったり、演奏の準備をするにも、前の出番の方のドライアイスで転んだりと、ハプニングの連続で……」 春畑「アンプも複数のバンドで使いまわすから、目盛りの数字の横にマジックで各バンド名が書かれていて、演奏の直前にスタッフの方がパパっと切り替えていました。あと、生放送ということもあり、時間がない時は、あり得ないような速いテンポで演奏しましたね」