「競技選手が引退後はまさかの映画制作に」五輪スケーター・村主章枝 畑違いの転身先とラスベガスに暮らす今
五輪などで活躍したトップスケーターの次なるステップとして、アイスショーなどで活動する姿をよく見かけます。ところが、ひょんなことから村主章枝さんは、映画の裏方として活動することに。制作した作品は社会課題からホラーまで!ラスベガス在住の村主さんにオンライン取材を試み、その経緯を聞きました。(全4回中の1回) 【写真】映画プロデューサーとして裏方仕事までこなす村主章枝さんの現在(全14枚)
■アイスショー実現のためにラスベガスに移住したら ── フィギュアスケートの選手として、オリンピックに2度出場した村主さん。現在は、ラスベガスを拠点に映画プロデューサーとして活躍中ですが、どのような経緯で映画界へ?
村主さん:引退後はカナダで指導者のライセンスを取り、スケートの指導をしていました。一方で、やはり長年やりたかったアイススケートショーを実現したいと、2018年、私にとって「夢の象徴」ラスベガスに移住したんです。ショーの制作を開始するにあたり、その過程をドキュメンタリーとして記録しようというアイデアがあり、ひとづてに紹介してもらったりしながら、ようやく映像チームを集めることができました。 その矢先に新型コロナウィルスが流行し、ショー自体を開催できなくなりました。ただ、せっかくいいメンバーが集まったのに、このまま何もしないのは残念だよねと、映像チームに相談したところ「ショーの映像を撮れないなら、映画を作りたい」と逆に提案されたんです。それなら、と深く考えず映画を作り始めたのが、この道に入るきっかけです。
── 映画制作はスケートとはまったく違う世界で、とまどいはありませんでしたか?未経験の業界・職業に飛びこむには、かなりの勇気が必要だと思います。映画監督とのやりとりや資金集めなど、ご苦労されたのでは? 村主さん:資金面や制作の難しさはまったく想像せずに始めたので、「もっと勉強してから始めればよかった」と、後から思うことはたくさんあります。でも、私の直感にもとづいて、あのとき「映画を作ろう」と判断したんです。そのときの直感は、28年間の競技生活を送るなかで培うことができた特別な感覚であり、崖っぷちで戦いぬいてきた経験から育まれたものです。あのとき、直感にしたがって決断したことで、長編映画を2本制作するまでやってこられました。