「道長や皇子を呪う」恐ろしすぎる事件の“黒幕” 内裏で呪いの札が見つかる、犯人は一体誰か
他人に祈らせるだけでなく、自らも、額に手を当てて、昼夜、祈祷したとのこと。しかしその甲斐もなく、伊周の執政が続くことはありませんでした。ほどなく、道隆の弟の藤原道兼が関白となったからです。 ■伊周は「祈祷を怠るな」と命じる 伊周はその直前、権力が手中からこぼれ落ちるのを避けるためなのか、高階成忠に「祈祷を怠るな」と命じていました。命を受けて、高階成忠はまたもや祈祷を行います。しかし、祈りが届くことはなかったのです。高階成忠は「何事も天命」と言っていますが、この結果をどう受け止めたのでしょうか。
さて、関白に就任した道兼ですが、病にかかり、すぐに亡くなってしまいます。病で亡くなったのですが、伊周は、高階成忠にまたもや祈祷を行わせていたようです。 これまで高階成忠が行っていたのは、道隆の病気平癒や伊周の執政継続など、いわば前向き(積極的)な祈祷でした。ところが、今回は道兼の死を望む呪詛を行っていたのでした。その後、高階成忠は出世していく道長の権力失墜を願う呪詛も行っていたようですが、失敗に終わります。
995年には、道長を呪うため、高階成忠が邸に法師と陰陽師を呼んでいたことが発覚します。 道長呪詛は、伊周が命じたものだったようです。成忠による一連の祈祷が行われる以前、『栄花物語』は成忠のことを「年老いてはいるが、才学は深い。しかし、性質はひねくれていた」と記しています。高階成忠の異様さが際立ちますが、そんな高階成忠も長徳4(998)年に没します。 そして、1009年の高階氏関係者による中宮・彰子、道長の呪詛事件に話は戻ります(ちなみに、その頃には、道隆の妻・貴子も亡くなっていました)。
呪詛を担当した僧侶・円能は、中宮やその子、道長の存在が藤原伊周の立場を貶めるので、亡き者にしようとして、呪ったといいます。 円能は、厭符1枚を高階光子(高階成忠の娘)に、もう1枚を源方理の邸に届けたようです(呪詛を担当した者には、褒美が与えられました)。高階成忠のこれまでの動きを見ていると、呪詛を命じた張本人は、その娘の光子だったように思います。ちなみに『栄花物語』にも、この呪詛事件のことが記されています。