新幹線が停まるのに、埼玉「本庄早稲田駅」がいまいち栄えていないワケ 開業20年なのになぜか
カインズ本社移転の衝撃
しかし、2012(平成24)年になり状況は大きく変わった。ようやく停滞していた開発が始まったのだ。 大きなきっかけは、ホームセンター「カインズ」本社の誘致に成功したことだ。それまで群馬県高崎市に本社を置いていたカインズは、2012年10月に駅南口に建設された5階建て床面積約2万7000平方メートルの本社ビルに移転している。 この時期、同社は店舗展開を北関東から全国に広げる戦略を持っており、その布石が本社移転だった。本庄早稲田駅だけでなく、関越道の本庄児玉インターも近い立地は、そのための理想的な拠点だったのである。同時期には駅北口ではショッピングモールの建設が開始、南口では早稲田大学を中心にエコタウン化の取組が始まっていた。しかし、地元には冷めた見方もあった。 「駅建設時には「早稲田大学の学部が設けられ、学生も人も大勢来る」という期待が広がった。(中略)ところが早大は大学院の「国際情報通信」「環境・エネルギー」の研究科を設けたが学部はない。70代男性は「学生が少ないせいか、地域と大学の一体感は感じられない」と話す」(『朝日新聞』2012年10月14日付朝刊) ショッピングモールに対しても、駅利用者の多くは駐車場にクルマを止めて都内へ向かう人であり、市内の客のみで外からの客は呼び込めないという懸念もあった。 結果はどうであったのか。2024年3月、『朝日新聞』埼玉版では「10年目の現実 新幹線・本庄早稲田駅」を3度に渡って連載している。 この連載では、駅開業当初にイメージされていた駅周辺にビルや住宅が立ち並び、早稲田大学の研究者が集うという「本庄新都心」が幻となってしまったことを記している。 その最も大きな理由は、 「都心との接続が希薄なままになった」 ことであった。
停車本数不足
当初、本庄早稲田駅には埼玉県北部を通勤圏とする役割が期待されていた。東京から本庄駅までは高崎線経由で2時間あまり。それが新幹線なら約50分(おおむね46分)。ゆえに本庄は 「東京の通勤圏」 として発展すると考えられていたのだ。そうならなかったのは、一部の時間帯を除けば停車する新幹線は 「1時間に上下各一本」 と少なかったことだ。このため、遠回りでも熊谷駅や高崎駅を利用する人も多かった。 これに加えて前述のとおり、再開発事業が縮小された。新設されたのはわずかな大学院で、学生街が形成されるほどではなく人口は少ないままだった。駅はできたが周辺の開発が進まず、 「人口が少ない = 駅利用者が少ない」 ために、余計に発展は遅れてしまったのだ。 そして20年目を迎えた今はどうなったのか。駅北口にはショッピングモールもでき、ロードサイド店舗も並ぶようになった。「本庄新都心」とはなっていないが、開発は進んだ。 北陸新幹線の敦賀延伸を前に、本庄早稲田駅を取り上げた『福井新聞』2023年6月17日付では整備された南口の「早稲田リサーチパーク地区」では 「住宅ゾーンに約550世帯が暮らし、物件が足りないほどの人気エリア」 とし、広い道路、公園といった環境面に加えて 「早稲田ブランドによって選ばれている」 としている。もっとも、その一方で 「東京から来る人は、時間がかかっても料金の安い在来線を使う」 と現状の問題を記し、にぎわいを生む施設を求める声が根強いことにも触れている。