新幹線が停まるのに、埼玉「本庄早稲田駅」がいまいち栄えていないワケ 開業20年なのになぜか
新幹線駅開業の負担と現実
もちろん地元の負担は大きかった。請願駅(自治体、地域住民、新駅周辺企業の要請により設置された鉄道駅)なので建設費用は当然全額地元負担となった。総額約123億円のうち、 ・本庄市:41億円 ・埼玉県:41億円 ・岡部町と児玉郡町村:20.5億円 で、足りない部分は民間からの寄付を求め、早稲田大学も7億円を寄付している。 この費用負担は重かった。現在の吉田信解(しんげ)市長は市のウェブサイトで、新幹線駅実現に至る熱い思いを記している。そのなかにこんな一文が。 「駅開業から20年、この間の道のりも決して平たんではありませんでした。本庄市も単費で41億円もの金額を供出し、そのしわ寄せはさまざまな分野に及びました。周辺整備も地域公団の整理統合で宙に浮き、私もそのような中で市長職に就き、多くの職員の皆さんと苦労しながら今日まで来ました。大きな不況や災害もあり、近年では駅乗降客もコロナ禍の影響で激減。最近やっと回復傾向にあります。駅周辺についても、まだまださまざまな課題があります」 本庄早稲田駅は開業後、駅はどうなったのか。資料を基に語っていこう。2004(平成16)年3月14日の開業日には、約4万人が集まった本庄早稲田駅だが、その後の利用は決して芳しいものとはいえなかった。 年度別1日平均乗車人員を見ると、2004年は1671人。その後は2000人台でほぼ横ばいが続き、2018年には2278人(定期外1018人、定期1260人)を数えるも、2022年には1722人(定期外792人、定期929人)となっている。 新幹線には安中榛名駅(群馬県安中市)のように、一日平均が常に3ケタ台の駅もある。それらの駅と比較すれば決してひどいわけではない。しかし、市民の熱望により鳴り物入りでできた結果としては、ちょっと寂しいものになっている。
政治に翻弄された駅開発
ちょっと寂しいものになった理由はなんだろうか。 本庄早稲田駅は立地面では優れた駅である。かつて整備予定地にあった無料駐車場はなくなったものの、駅周辺には駐車場が多く、ここから新幹線に乗り換えて出掛けるパークアンドライドを想定すれば利便性はピカイチだ。そうした駅のため、埼玉県北部はもちろん、利根川を挟んだ伊勢崎市周辺までの広い地域をカバーしている。 ところが、駅周辺の開発は後手に回った。駅開業当初こそ、本庄市に経済効果はあった。それまで売れ残っていた市内の産業団地も駅開業後には完売した。住宅の開発も増加し、乗降客を目当てにタクシー会社の新規参入もあった。 しかし、駅周辺の開発は遅れた。駅周辺の約154haの土地では、大型商業施設を含む開発を計画していたが2005(平成17)年になり、計画を当初の3分の1に縮小したいと市に申し入れている(『朝日新聞』2005年6月21日付朝刊)。 これは、政治によって作られ、政治に翻弄(ほんろう)された駅の結果である。 この開発は「地域振興整備公団」が担い、400億円以上の大規模プロジェクトとされていた。ところが、駅の工事が進んでいた2001年に誕生した小泉内閣は、改革の一環として公団を廃止。事業に着手する前に、担い手が消滅し仕切り直しになってしまったのだ。 事業は「都市再生機構」に引き継がれたが、機構は公団と違い自前で事業費が出せなかった。そのため、計画を縮小せざるを得なかった。駅開業当初に示されていた高層ビルが立ち並ぶ「本庄新都心」の風景は幻となったのである。