『人間の境界』アグニエシュカ・ホランド監督 世界は危険な方向に進んでいる【Director’s Interview Vol.402】
『人間の境界』あらすじ
「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出した、幼い子どもを連れたシリア人家族。しかし、亡命を求め国境の森までたどり着いた彼らを待ち受けていたのは、武装した国境警備隊だった…。
“映画の持つ力”に疑念を抱いていた
Q:ニュースだけでは伝わってこない事実に動揺を覚えつつも、その事実を映画が教えてくれた意義を強く感じます。社会性を持った映画を長年手掛けられてきましたが、ご自身は映画の持つ力を実感されていますか? ホランド:実はここ10年ほど、“映画の持つ力”に対して疑念を抱いていました。映画は、内省的に自分を見つめる機会を与えることか、娯楽を与えることしか出来ないのではないかと。そんな思いの中で作った『人間の境界』でしたが、観客のリアクションはとてもパワフルなものでした。そのおかげで、改めて“映画の持つ力”を信じられるようになりました。映画が世界の状況を変えるとまでは思ってはいませんでしたが、観てくださった方々が何か変わってくれればと希望は抱いていました。正にこの映画でそれが叶ったのです。 この映画を携えて母国ポーランドをはじめヨーロッパの様々な映画祭に行きましたが、どこに行っても観客のリアクションはとても感情的で、皆さん自分事として捉えてくださった。自分も何か行動せねばと肌で感じてくださったのです。本当に嬉しくて胸がいっぱいになりました。本作は色んな映画祭でたくさんの観客賞を受賞しました。二時間半もある白黒映画で重い題材にも関わらず、それでも観客の皆さんが支持してくれた。皆さん、何かを感じてくださったのだと思います。
世界は危険な方向に進んでいる
Q:難民の救助に手を貸さない友人や難民の受け入れに不安を覚える妊婦など、多様な視点が描かれるのも印象的です。そういった層はポーランドでは多いのでしょうか。 ホランド:当時は政府によるプロパガンダがひどく、難民に対しての不安が広がっていました。ポーランドに限らず、ハンガリーやイタリアなどでも、難民を恐怖の対象としてプロパガンダを打ち出していました。難民が来ることによって、自分たちの生活が脅かされるかもしれない、仕事を失うかもしれない、そういった潜在的な恐怖は誰もが持っているもの。プロパガンダはまさにそこに付け込んでいました。 一方で、人の共感や思いやり、エンパシーを利用したプロパガンダを打ち出すこともあります。ウクライナからの難民の受け入れがその分かりやすい例で、彼らは友好的にたくさん受け入れられています。政治家は恐怖心とエンパシーをうまく使い分けます。2015年のポーランドでの選挙では、シリアの難民問題を使ったプロパガンダで恐怖心を煽った方が勝利しました。人種差別的な言葉を駆使し、難民は病原菌を持ち込む危険な存在だと煽り、65%いた難民受入れ支持層はたった2ヶ月で30%にまで落ち込みました。 自分と異なるものに対する恐怖心があることは皆同じです。突然やってきた異文化圏の人々を受け入れることは、容易いことではありません。ただし、それを解決することは決して不可能ではない。そのためには、政治的影響力を持つ人々や、宗教の各宗派、人道支援団体、教育機関が一つになる必要がある。それにより今ある諸問題も解決に向かうのではないかと考えています。 Q:取り調べをする警察官など全体主義を思い出させる描写もありますが、一方でフォローしてくれる女性警官も存在していて、救いもあります。第二次大戦中や直後と比べると少しは良くなっていると感じますか。 ホランド:あまり希望は持っていませんね(苦笑)。世界は危険な方向に進んでいると思います。ジョージ・オーウェルが「モンスターたちが世界を導くのだ」と言っていたように、まさにそういうモンスターが世界中で頭をもたげ始めている。しかもモンスターたちは人民の支持を得ている。劇中では、サディスティックな警察官と、シンパシーを感じさせる女性警官をそれぞれ描きましたが、そういった分断は世界中で起こっている。ここポーランドでもそうだし、アメリカでもそう、ブレグジットなどもわかりやすい例ですね。国や地域で極端な形の二極化が進んでしまっている。私自身の人生でこれほどまでに分断を感じたことありません。 気候変動やカタストロフィーに関する問題もあり、それに対する考えも様々。そういった問題の答えを見つけることは難しいですが、とにかく落ち着いて、皆で一緒に科学的に分析をしながら解決策を見つけていくしかない。しかし今、人々は科学やコラボレーションを拒否してしまった。人類が目覚めて気づくためには、もしかしたらまた大きな戦争が必要なのかもしれません。もちろん絶対に起こって欲しくはないですが…。
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