外遊中に歴史的大暴落、東株退社後に巻き込まれた帝人事件 河合良成(下)
相場は「ゴッド・ノーズ(God knows)」――。小松製作所を世界的メーカーへと押し上げた大正・昭和の実業家の河合良成(かわい・よしなり)は、相場の不可思議さをこう表現したといいます。 「相場はゴッド・ノーズ」米価と格闘した若き日の怪物経営者 河合良成(上) 越中米の年貢収納地だった現在の富山県に生まれ、米騒動の際には若手官僚として下がらない米価と格闘。郷誠之助に誘われて入った東京株式取引所(東株)では、第1次世界大戦後の歴史的大暴落への対応にもがき、昭和初期の大疑獄事件である帝人事件にも巻き込まれました。戦後は国会議員にもなり、吉田内閣で厚生相を務めた河合は、日中、日ソの経済交流にも尽力しました。 怪物経営者と呼ばれ、相場と闘い、翻弄された河合。市場経済研究所の鍋島高明さんが、東株退社後から帝人事件に巻き込まれるまでを解説します。3回連載「野心の経済人」河合良成編の最終回です。
第1次大戦後の歴史的暴落で市場大パニック
東京株式取引所(東株)が「天一坊」問題で頭を痛めている最中、パニックに見舞われる。大正9(1920)年3月15日の歴史的暴落である。この時、河合は海外視察から帰国の途中で、河合たちの香取丸が香港に着いた時、東株本社から「株式大暴落」の電報が舞い込む。河合が横浜に着いたのは翌4月7日でパニックから3週間が経っていたが、まだ混乱の最中である。史上空前とされるパニックの実相は『東京株式取引所五十年史』による。 「十五日に至るや、俄然狼狽(ろうばい)的投げ物嵐の如く注がれ、痛烈なる売り方の追撃と相まって相場はたちまち土崩にして瓦解(がかい)、歴史的恐慌場面を現出し、情景凄(せい)惨を極めたり」 「四月に入るや、三月中の入超一億三千余万円の報を入れ、意気消沈の市場は一層不振に陥り、加えて大阪における増田ビルブローカー銀行の破綻は財界の人気を恐慌せしめたることはなはだしく、諸株一斉、崩壊に次ぐ崩落をもってし、ますます険悪となりたり。遂に四月七日、立会停止し……」 4月16日、市場は再開された。河合は立会場のプラットホーム上で固唾を呑んで手振りに見入った。 「市場は予想に反してまだ落ち着きを取り戻しておらず、市場はほとんど総売りという場面で、仲買人の手の振り方がすべて前方へ向かって下げている。これが総売りの姿で、ただ凄愴(せいそう)そのものであった。それでまた市場を再停止するの止むなきに至り、問題解決の容易でないことを思わしめ、私どもをして狼狽せしめた」