ペギー・グッゲンハイムの名言「芸術の顔というのは…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。グッゲンハイム美術館の創立者、ソロモン・R・グッゲンハイムを伯父に持ち、20世紀を代表するアートコレクターとして知られるペギー・グッゲンハイム。「はぐれ者の令嬢」から一転、アーティストたちとの華麗な交流を経て、伝説の美術品蒐集家として美術界に名を刻んだグッゲンハイムの芸術への思いとは。 【フォトギャラリーを見る】 芸術の顔というのはたえず変化する。 マルセル・デュシャン、ジャクソン・ポロック、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト……。ペギー・グッゲンハイムを囲んだ芸術家の名を挙げれば、枚挙に暇がない。後に近現代美術の巨匠となるアーティストたちを見出し、スターへと押し上げる立役者となった彼女の人生は、まさしく絢爛豪華だった。 1898年、ニューヨークの裕福な家系に生まれたグッゲンハイム。13歳の時、父をタイタニック事故で亡くし、成人後に遺産として大金を相続する。幼い頃から奔放な性格だった彼女は、伝統を重んじる富裕層社会を離れ、23歳でパリへと移住。当時アートシーンの最前線を走っていたマルセル・デュシャンやコンスタンティン・ブランクーシらと出会い、父の遺産で美術品の蒐集を始めたことが彼女の人生の転機となった。 第二次世界大戦中、ニューヨークに戻ったグッゲンハイムは、交友関係を広げるとともに、自身のギャラリーを設立。当時無名だったジャクソン・ポロックをはじめ、多くのアーティストに経済的支援を行い、パトロンとしても確固たる地位を築くことになる。戦後は安住の地を求め、自身のコレクションとともにヴェネチアに移住。1958年、12年ぶりにニューヨークを訪れた際に当時のアートシーンをこう語っている。 「わたしがニューヨークを離れて十二年間ヨーロッパで暮らしている間に、すべてが様変わりしてしまっていた。現代美術の動向が巨大なビジネスになってしまっているのに気づき、わたしは肝を潰した。もう真剣に絵画そのもののことを考えている人などほんの僅かだった」 商業主義に走る現代美術界に苦言を呈しながらも「芸術の顔というのはたえず変化する」と達観した考えを持っていたグッゲンハイム。変化するものだからこそ、蒐集し歴史を紡ぐことに価値がある。彼女がいなければ、今日の美術史は全く違う道を辿っていたかもしれない。
ペギー・グッゲンハイム
1898年、ニューヨーク生まれ。美術品蒐集家。富豪の家系の両親のもとで育ち、成人後はパリに移住。1938年にロンドンに自身のギャラリー「グッゲンハイム・ジャンヌ」をオープン。その後、1942年から4年間美術家のマックス・エルンストと結婚生活を送る。1943年、ニューヨークに「今世紀の美術」館を設立。晩年はヴェネチアに移住し、住居でもあるペギー・グッゲンハイム美術館でコレクションを展示。1977年、同館の建物とコレクションをグッゲンハイム美術館に寄贈する。1979年、ヴェネチアで逝去。
photo_Yuki Sonoyama text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi ...