EV競争で得たものは「男の友情」…でいいのか? 迷走「新プロジェクトX」に欠けている重要な視点
随所に登場するカルロス・ゴーン。しかし多くは語られない…
方針を転換したゴーン氏の鶴の一声で、枚田らはEV開発を進めることになった。3年という短期間で量産化しろという、トップダウンの命令である。こうして枚田は17年間の「流浪の民」を経て、量産車開発の舞台に立つことになった。 だが「チームワーク」が課題になった。生産技術リーダーの岸田郁夫は、実験重視で生産計画さえ決められない枚田たちに「何なんだ、こいつら」と怒りを示した。 量産化の“納期を守る”の役割を課せられた岸田は、製造工程表を作り枚田ら開発陣に突きつける。そこでは、24時間かかると枚田が説明していた電解液の注入作業も「0時間」と見積もられていた。当然、彼は強く反発。「開発」グループと岸田たち「生産」グループの関係は険悪だったという。「電池開発パック」の責任者だった平井敏郎は、 「(枚田と岸田が)毎日にらみ合っていた。とっても良くない雰囲気で」 と述懐している。 開発中の事故も頻発し、技術的に未解決の課題も山積していた。しかし2009年、ゴーン氏はEV車を「LEAF」と名付け、1年後に販売すると発表してしまう。リチウムイオン電池で動く画期的なものとしてプレゼンで解説されたものの、社内ではまだ電池の材料も工程も決まっていなかったという。 「内輪もめはやめよう」 枚田は、岸田と平井に対し、今後はこの3人で全てを決定しようと話し合う。役員にもそれを談判し、毎日、部下を帰した後に集う「8時だヨ! 全員集合会議」という会合を続けた。そして販売まであと半年に迫る中、電池の寿命を飛躍的に伸ばす工夫もあって、間一髪で販売にこぎつける。2010年12月に、世界初の量産型電気自動車LEAFは発売された。そして翌年の「カー・オブ・ザ・イヤー」を日本や欧州、米国で総ナメにした――。 こんな感動物語なのだが、ゴーン氏と日産の関係についてはあまり深く説明されなかった。同社を再建したカリスマ経営者が、その後、特別背任などを会社側に告発されて逮捕され、保釈中に国外に逃亡したのは知られた通り。 日産を取材するゆえの制約もあったと想像するが、日本企業が外資の経営者に蹂躙された末に海外逃亡を許したという「事件」をNHKは深追いしていない。むしろ経営的にはゴーン氏の不正をどうやって暴いたのかを描くだけでも、興味深い「プロジェクトX」を作れたはずだ。