【会見全文書き起こし・前編】翁長沖縄県知事 日米安保を品格のあるものに
そういった中で1800年代にまいりますと、アメリカのペリー提督が初めて日本に来港したのが1853年、浦賀であります。ですから、日本の歴史の中ではペリーさんは浦賀に最初に着いたということになっております。それは間違いありませんが、ペリーはその前後、実は5回沖縄に立ち寄ってまして、85日間滞在をいたしております。1854年には独立国としての琉球と合衆国との間に琉米修好条約を結んでおります。それからオランダとフランスとの条約を結んでおります。 そして琉球はその25年後に、1879年ですけれども日本国に併合をされました。私たちはそのことを琉球処分と呼んでおります。それからは沖縄の言葉であるウチナーグチを禁止されました。一人前の日本人になりなさいということで、日本語をしっかりやるようにと言われまして、沖縄の人たちは立派な日本国民になるんだということでそういったこと、公民科教育もしっかり受けて、ある意味で日本国に尽くしてまいりました。その先にあったのが70年前の沖縄の戦争であります。そして戦争の中でも沖縄県民が、10万を超える人が唯一の地上戦で亡くなりました。そして日本軍、あるいはアメリカ軍合わせて20万を超えるかたがたが沖縄で亡くなっております。 そういった戦争の話をすると時間がありませんから、そういう意味では沖縄は戦前、戦中、戦後と日本国にある意味で操を尽くしてまいりました。その結果が、戦後すぐサンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに、沖縄は約27年間、米軍の施政権下に差し出されたわけであります。米軍との過酷な自治権獲得闘争というものは想像を絶するものがございました。今の日米地位協定も若干私たちからすると問題ありますけれども、当時はもう治外法権みたいなものでありますから、高等弁務官というのがありまして、そしてアメリカ民政府というのがあって、そしてその下で沖縄の議会や立法院議会というのもあったわけですね。