「引き揚げ」世代最後の親睦会「安東会」と東京で味わう現代満洲料理
引き揚げの足跡をたどる人も
福岡県在住で現役時代はテレビ局に勤務していた諸住昌広さん(81歳)は、昨年10月、同会の柳沢隆行さん(85歳)と一緒に丹東を訪ねている。敗戦時は2歳で「当時の記憶はゼロ」と話す諸住さんだが、定年後、敗戦前夜に戦死した父親の足跡を調べ、『旧満洲に消えた父の姿を追って』(2019 年、梓書院)という本を上梓している。 その丹東への旅を誘ったのは柳沢さんで、敗戦当時は5歳だったが、両親一族との危険な逃避行である安東から葫蘆島に向かった道中を、「子供とはいえ、特異な体験だったので、しっかり覚えている」という。おばや祖母、弟などを亡くしたことでその思いを強くしたそうだ。 柳沢さんは、父親が他界した15年くらい前からさまざまな伝手や資料を探り、また現地を何度も訪ねて、引揚船に乗るまでのルートを探り当てた。その話を「ありなれ」に書いたことから、諸住さんと知り合い、2人はその道のりを車と足で辿ったのだった。 ◾️「安東会」の人たちにガチ中華を紹介 安東会で最も有名なのが、ジャーナリストで元日銀副総裁の藤原作弥さん(87歳)だ。藤原さんは幼少期に満洲国興安街(現在の中国内蒙古自治区ヒンガン盟ウランホト)にいて、日本の敗戦前夜、半日早くその地を離れたため、生きながらえたという。 彼の小学校の友人や家族は、ソ連軍の侵攻で全滅したそうだ。その後、両親と安東に来て、敗戦後の抑留生活をしており、それらを含めた満洲体験を書いた著書が『満州、少国民の戦記』(1984年、新潮社)だ。 実は、この興安街(王爺廟とも呼ばれた)は当時大学でモンゴル語を専攻していた筆者の祖父の最初の赴任先でもあり、安東会でお目にかかったとき、不思議な縁を感じたものだ。 筆者を安東会に招いてくれたのは、ジャーナリストの岡田和裕さん(87歳)だ。同会で幹事を務める岡田さんは、安東を舞台にした『満洲安寧飯店』(1995年、潮書房光人新社)や『明治を食いつくした男 大倉喜八郎伝』(2019年、産経新聞出版)などのノンフィクション作品をいくつも発表している。 なかでも『満州安寧飯店』は、敗戦直後のこの地の混乱した非日常の世界をリアルに描いている。小学生だった岡田さんが当時のことを詳しく知る由はないが、この作品の主人公のモデルとなった人物から膨大な手記や資料を手渡され、それを下敷きにしてまとめたそうだ。 岡田さんは、いわば「引き揚げ2世」であり、幼少期に過ごした満洲で何が起きていたのか知りたいという強い思いがこの作品をまとめる原動力になっていたのだと思う。 来年刊行される予定の著書は、丹東から近い鴨緑江中流の中朝国境に1937年、日本人によって建設された水豊ダムの物語だという。筆者は水豊ダムを訪ねたことがあるが、当時はアジア最大規模の水力発電ダムで、現在の北朝鮮の文化や歴史が表現される国章にも描かれているほど重要なインフラだ。