孫正義がかつての盟友に捧げた「非常識すぎる弔辞」に込められた真意
私もヤフーの経営者として働く立場になって分かったのですが、ヤフーの広告の利益率の方が相対的に高いため、テレビ広告と一緒にすると利益率が低下し、投資家からの評価も下がってしまうというわけです。井上さんは、経営的観点から即断するのが特徴でした。普通なら検討する段階があってから結論を出すのでしょうが、井上さんはそうではなく、一言で経営判断をしていましたね。 井上さんは2017年に亡くなりましたが、そのお別れ会で孫さんが述べた弔辞がすごかったです。冒頭から「井上さんはとても横着で態度が大きい」と始まったので驚きました。 他にも、アメリカに出張した際、孫さんが両手にたくさんの荷物を持っていた横で、井上さんは悠々とたばこを吸っていたそうです。それで孫さんが、井上さんに荷物を一つでも持ってくれないかと頼んだら、井上さんから「腰が痛いんですよね」と断られたと言います。 井上さんは昔、ソフトバンクで社長室長として孫さんの側近でした。しかし、なかなかうだつが上がらず、孫さんがヤフーを立ち上げ、井上さんに「社長でもやってみるか?」と尋ねると、「やります、やります。孫さんから離れられるなら何でもやります」と二つ返事だったそうです。 その後、井上さんが実際に社長を任されると、ヤフーは驚くほど急成長しました。そのとき、孫さんは「社長しかできない人がいるというのを井上くんで初めて知った」と話していました。 ● 「いかがわしくあれ」 孫正義から若者へのメッセージ 井上 もう1人の恩人、宮坂さんについては、どういう点を尊敬しているのでしょうか? 川邊 宮坂さんは、私にとって兄のような存在です。井上さんは自信に満ちており、最終的には自分の力で何とかするという印象でした。対照的に、宮坂さんは人に注目し、部下の才能と情熱を引き出すことに重点を置いていました。そして、おそらく、その世代の中で最も能力を解き放たれたのが当時副社長だった私だと思います。