「実質賃金」引き上げの“公約”は画期的だが、価格転嫁では実現しない
● 「物価高上回る賃上げ」実現できるのか 8月は実質賃金、再びマイナスに 総選挙が公示されたが、自民党が、政権公約で「あらゆる手段を講じて物価の上昇を上回る所得向上を実現」を掲げるなど、実質賃金の引き上げが経済政策の最大テーマになっている感がある。 他党でも党首の第一声などで「物価高を上回る賃上げ」や「手取りを増やす政策」を訴える政党が目立っている。 実質賃金の引き上げが、ここまで政治や選挙で焦点になることはなかったので、これは画期的なことだ。もしこれが実現できれば、他のことが何も実現できなくてもよいとさえ言える。 ただし、これは極めて難しい課題だ。実際、それまで27カ月にわたってマイナスを続けていた実質賃金の伸び率は今年の6、7月にプラスになったが、8月には再びマイナスに戻ってしまった。 本コラム「27カ月ぶりの実質賃金プラス化は『消費者の負担』で実現した、長期にわたる継続はできない」(2024年9月5日付)指摘したように、プラス化はボーナス増額の影響が大きかった。そうであれば、9月以降も伸び率がマイナスになる可能性が高い。 日本経済の構造を考えると、簡単には実現できない課題であることをまずは認識する必要がある。
● 転嫁による賃上げでは 実質賃金は上がらない 賃金を引き上げ、それを販売価格に転嫁すれば、売り上げも賃金も上がる。実際、政府や日本銀行なども、物価と賃金、経済の好循環実現の一環として価格転嫁の”勧め”を続けてきた。 しかし、これは消費者が負担する賃上げだ。物価が上昇するので、実質賃金が上がることにはならない。9月5日の本コラムでは単位労働コストの分析から、日本の現在の賃上げは生産性上昇によるものでなく、転嫁によって消費者が負担するものであることを示した。 単に賃金を引き上げることと実質賃金を引き上げることは大きく違う。実質賃金の上昇は、転嫁では実現できないのだ。 だから今回の選挙で、自民党などが目標を賃金の上昇としたのではなくて、実質賃金の上昇としたのは大変重要なことだ。 ただし問題は、それを実現するための具体的な手立てを示していないことだ。 ● 生産性の高い製造業の比率低下 低生産性サービス部門の従業員増加 日本の実質賃金が1990年代から継続して低下している。その原因は、全産業の従業員に占める製造業の比率が低下しているからだ。 製造業の生産性は高く、伸び率も高い。それに対してサービス産業の生産性は低く、伸び率も低い。 このことは本コラム「23年春闘賃上げの『盲点』、賃金分配率引き上げでも未来の給料は上がらない」(2023年3月9日付)で法人企業統計の分析によって示したことだ。 そこでは、製造業、卸売・小売業、サービス業(飲食宿泊、学術、医療介護)について、賃金(従業員一人当たりの給与・賞与)の長期的な動向を法人企業統計調査で見た。その結論を繰り返せば次の通りだ。 1990年代の中頃までは、どの産業の賃金も傾向的に上昇していた。ところが、そこで頭打ちになり、それ以降は上昇しなくなった。その後、製造業では2008年頃以降、緩やかな上昇に転じている。しかし、卸売・小売業ではほとんど横ばいであり、サービス業では2000年以降、低下気味だ。 賃金停滞は、ここ数年間の現象ではなく、30年近くにわたって続いている問題だ。 従業員数の動向を見ると、90年代の初め頃まではどの産業でも増加したが、90年代の中頃から製造業で減少した。卸売・小売業でも増加が止まり、緩やかな減少に転じた。それに対して、サービス産業での従業員数が傾向的に増加している。 ところで、従業員一人当たりの付加価値でみた生産性は産業によって大きな差がある(注)。 2021年度で見ると、製造業912万円に対し卸売・小売業648万円、サービス業489万円となっている(1人当たり給与・賞与は製造業428万円、卸売・小売業313万円、サービス業363万円)。 生産性の高い製造業の比率が低下し、生産性が低いサービス業の比率が上昇したため、経済全体の生産性が低下したのだ。 (注)生産性とは従業員1人当たり付加価値。付加価値は人件費、支払利息等、動産・不動産賃借料、租税公課、営業純益の計。