元自衛官からみたPKO日報問題 すり替わった議論の本質
陸自?の“リーク”とシビリアンコントロール
日報問題の処理をめぐって、防衛省・自衛隊が日報データを廃棄し、存在を非公表としたことや、データの存在について陸自(の一部)がリークを行ったとみられており、これがシビリアンコントロールの問題だとして非難されています。 一般の人にとって、自衛隊がシビリアンコントロールを犯す行為は、首相や防衛大臣の命令に背くことであると認識されているでしょう。もちろん、これは間違いではありません。しかしもっと簡単で、もっと影響の大きなシビリアンコントロールを犯す行為があります。 自衛隊の最高指揮官は、首相であり、次級が防衛相です。つまり、自衛隊に対する首相と防衛大臣の指揮が適切に行われていれば、それはシビリアンコントロールが保たれた状態と言えます。 自衛隊に入隊すると、幹部候補であれ、最下級の2士であれ、指揮に関して徹底的に教育されるのは、報告の重要性、特に正確に報告することの重要性です。また、報告は服従心の現われだとも教育されます。 何が言いたいかというと、報告を適切に行わないことが、何よりもシビリアンコントロールを犯す行為だということです。 首相と防衛相が、適切に判断・命令をする、つまりシビリアンがコントロールをするためには、彼らに正確な情報が報告されることが必要です。もし、誤った情報が報告され、必要な情報が耳に入らなければ、シビリアンコントロールが成り立ちません。 逆に言えば、誤った情報を報告したり、必要な報告をしなければ、それだけで大臣を操縦することもできます。官公庁や防衛省・自衛隊に対する知識がない大臣であれば、尚のことです。 このことを踏まえれば、日報問題において何が問題であったかが認識できるはずです。 2016年の7月に開示請求があった際、陸自内と一部内局において、日報が公文書でないとして隠蔽がなされます。これは、誤った判断であり、適切に文書公開を行うという政府の方針に反する行為であるため、これ自体がシビリアンコントロールに反する行為であり、問題です。しかし、この時点では、この隠蔽が政治問題化するとは予測できなかったと思われます。そのため、この隠蔽が大臣や陸幕長の耳に入っていないことは、致し方ないことだと考えられます。組織が大きくなれば、全ての情報をトップが判断することは不可能だからです。 ですが、10月及び11月に行われた開示請求に対して、文書が破棄済みであり、既に存在しないため開示できないとした12月の決定の際には、この問題が部隊の運用に留まらず、政治問題化することが明らかに認識できる情報がありました。ここでは詳しく触れませんが、特別防衛監察の結果を読めば分かります。特別防衛監察では、この時の隠蔽に対しても、大臣の文書決裁を受けていないことから、大臣には報告されていなかったとしています。 しかし、もし本当に大臣の耳に入っていなかったのであれば、それこそシビリアンコントロール上の大問題です。政治問題化してしまうのであれば、大臣がその問題の解決に最もイニシアティブを取らなければならないことは間違いありません。そのため、遅くとも11月には、7月に隠蔽が行なわれた事実も含めて、大臣に報告されていた可能性が高いと考えています。 また、日報は必ずあるはずだとして探索を指示した河野太郎自民党行政改革推進本部長と同じように、私も日報はかならずあると確信していました。こうした文書は、部隊運用の資産として貴重です。それを、几帳面な組織である陸上自衛隊の体質を考えれば、軽々に捨ててはいないはずだと考えたからです。 昨年12月、その日報は破棄済みであり、存在しないものとされました。この日報には、PKO五原則が崩れていたと考えられる表記がなされていました。特別防衛監察では否定されていますが、この非公表の決定は、大臣の意思によっていたはずです。 であるとするならば、私は大臣にも報告していたなどのリークを行った(かもしれない)陸自(の一部)を、全面的に支持します。 陸自がリークを行ったのなら、これは上官である防衛相である稲田氏を“後ろから撃つ”ことに他ならず、確かにシビリアンコントロール上問題です。しかし、仮にそうであったとしても、このリークはやむを得ないと考えます。 一般の人にとっては、単なる文書管理の問題かもしれません。しかし、元自衛官の目線、つまり軍人的感覚で見た場合、この日報をなかったことにするという行為は、絶対に許すことができないものだからです。 「ジュバが危険」だと記した日報を存在しなかったことにすることで、今後のPKO派遣部隊は、たとえ危険な状況があったとしても、それを日報を含めた各種報告に書くことができなくなります。録音されない電話など、証拠が残らない形でしか真実を報告できなくなるということです。 上述した通り、自衛官は、階級の上下にかかわらず、正確な報告を行うことを徹底的に教育されます。指揮官が正確な情報を元に、適切な指揮(判断)を行うために必要なことだからです。 危険が迫っているにもかかわらず、危険であることを報告できなければ適切な処置が講じられずに、無駄に死傷者が発生します。日報をなかったこととし、今後の報告には危険であることを書かないよう、隊員に対して“忖度を強要”することは、隊員を無駄死にさせる結果を招くのです。 自衛官目線では、真実を報告させない雰囲気を作ることは、絶対にあってはならないことですが、一般の人は当然としても、この感覚を防衛省背広組が理解していないことが問題の背景にありました。 大臣を守るために陸自が隠蔽したことにせよ、と言われれば、陸自内部から反発がでても当然です。稲田氏には、日報をなかったことにすることが隊員の無駄死にを招きかねない危険なことだという認識は、恐らくなかったのではないでしょうか。しかし、やや乱暴な言い方をすれば、それを理解しないのは指揮官(防衛大臣)として不適格です。 陸自(の一部)が、自分の保身のために隊員を死に追いやるような指揮官を後ろから撃ったのだとしても、元自衛官として、私はそのことを非難する気にはなれません。