【 アンジェリーナ・ジョリー 】「整形人気一番」な絶世の美女。49歳、映画『Maria』でカムバック【SPURセレブ通信】
「誰もが憧れる顔」。ハリウッドの絶世の美女といえばアンジェリーナ・ジョリーだ。ゴージャスでセクシーな美貌は、アメリカの美容整形界で「最も希望される顔」とされてきた。さまざまなスキャンダルでも知られるが、2024年、49歳で復帰したレッドカーペットでも、ほかに類を見ないオーラは健在だった。 【写真】『Maria(原題)』のトレイラーを見る ◆ダークな絶世の美女 映画スターになるべくして生まれてきたようなアンジェリーナ・ジョリーは、生粋のハリウッド育ち。1975年、カリフォルニアで俳優一家に生まれ、7歳でオスカー俳優の父、ジョン・ヴォイドの映画に出演していた。ただし、両親の別居後、母親が苦労していたため、10代で芸能活動に邁進したのは家計を支えるためであった。高校では、貧しかったこと、そして容姿を理由にいじめられていたという。 はじめての主演映画『サイバーネット』(1995年)から注目されていったアンジェリーナは、当人いわく「タフでワイルド」な魅力によって人気を博した。というのも、キャリア初期の彼女は、ダークでパンクな武勇伝によって物議を醸しつづけた。共演俳優ジョニー・リー・ミラーと1996年に結婚した際には、相手の名を血で記したTシャツを着用したという。 自傷行為について語ったことで、一部から偏見を受けることもあった。しかし、つらい経験すら、カリスマ的な演技に昇華させた。自分と重なる精神病院の患者を演じた『17歳のカルテ』(1999年)では、24歳にしてアカデミー助演女優賞に輝いている。 ◆「魔性」の不倫ドラマ オスカーの栄光も、アンジェリーナの心の闇を癒やすことはなかった。というのも、字義どおりのハリウッド育ちであるため、そこでの地位をあまり特別に思えなかったのだという。人生の転機をもたらしたのは、外の世界だった。『トゥームレイダー』(2001年)の撮影で訪れたカンボジア、そして母が勧めてくれた海外旅行での経験によって、慈善活動に注力するようになったのだ。2003年より三人の養子を迎えて母親になったことで、自己破壊的な行動もおさまったという。 それでも、スキャンダラスな報道がしばしば影を落とした。特に強かったイメージが「共演者キラーな魔性の美女」。二番目の夫となるビリー・ボブ・ソーントンとは、彼がローラ・ダーンと婚約中にもかかわらず駆け落ちして話題となった(偶然にも、同じ二世俳優であるローラは、かつてアンジェリーナのベビーシッターだったこともあったという)。 キャリア最大の嵐は『Mr.&Mrs.スミス』(2004年)で共演したブラッド・ピットとの熱愛。当時、ピットは「国民の恋人」ことジェニファー・アニストンと夫婦関係にあったため、大論争になった。 「ブランジェリーナ」として愛された二人は、新たに三人の子どもに恵まれた。しかし、2016年、夫によるDV容疑についての捜査直後に離婚を発表。スター同士の離婚争いは荒れに荒れ、8年経った今でも続いている。 ◆伝説の歌手役での復帰 離婚後、子育てに専念するなか露出を減らし、俳優とすら名乗らなくなったが、監督業や人道支援、アトリエ経営等で忙しい日々を送っている。将来カンボジアを拠点にする予定だというアンジェリーナの友人の多くは、苦難を生き抜いた難民の人々だという。今でもゴシップが絶えない映画業界に、あまり未練はないようだ。「私が育ったハリウッドとは、浅はかで、世界随一の不健康な場所です。だから私は人間らしい、心ある本物な存在を求めるのです」。 しかし、子育てが一区切りしたアンジェリーナは、オスカーレースへの驚きのカムバックを決めた。なんとも大物らしく「スーパースターの復帰」そのものを題材にしたのだ。 伝記映画『Maria(原題)』(アメリカ11月27日公開 日本公開未定)で演じるのは、才能と美貌を崇められながらも、過激な言動によって反発も受けたオペラ歌手、マリア・カラス。フォーカスがあてられるのは晩年で、表舞台から去っていたマリアがもう一度歌おうとする挑戦を描く。アンジェリーナがこの役に重ね合わせたものは、芸能界で傷つけられていった女性の苦悩だと語られている。「それでも、マリア・カラスは歌が好きでしたし、私も創作を愛しているんです」。アンジェリーナ・ジョリーを定義する言葉は様々だが、舞台に立つことを求められる芸術家であることに違いない。 【辰己JUNK】