1980年代に登場したものの、初代のみで消えた車3選
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多品種少量生産
クルマの世界は苛酷だ。そりゃどんなビジネスについても同様のことが言えるものの、1台でも業績不振のプロダクトを出すと、経営への打撃は大きい。とくに主力車種だと経営が傾く……なんて言われるほど。 そこで自動車メーカーは製品開発に慎重だ。大胆になってもいいと思うが、なかなかそうはなれないメーカーも少なくない。トヨタのクラウン・シリーズなどは、さすが余力のある会社だけに、成功か失敗かの見極めを少し長めのスパンでみている気がする。 1980年代、日本の自動車メーカーが国内市場でも潤っていた時代は、多品種少量生産こそ、正しい商品戦略などと言われていた。そこでは、企画力の勝負。シャシーは共用しても、ボディデザインは、順列組合せのすべてを試しているんじゃないか? という具合。 そこで登場してきたのが、ここで採り上げる3台だ。三菱自動車(以下、三菱)の「トレディア」、マツダ「エチュード」そしてダイハツ「アプローズ」である。
(1)三菱「トレディア」
三菱のトレディアは1982年に登場、1988年まで生産が継続された。当時の「ミラージュⅡ」と基本プラットフォームを共用しつつ、ややボディを大ぶりにした独立トランクつきのセダンである。 ミラージュⅡには4ドアサルーン(1982年)があり、並行して姉妹車の「ランサーフィオーレ」があり、さらに1983年にシリーズ全体がモデルチェンジという状況だった。 それでもトレディアを設定したのは、全長4m程度のミラージュと、上級セダンの「ギャランΣ(シグマ)」シリーズとのギャップを埋める目的もあった。 トレディアの全長は4280mm、ホイールベースは2445mmで、2代目ミラージュ(微妙に車名も変更)のサルーンの4125mm、2380mmを上まわっていた。 パワーがしっかりあり、1800ターボもラインナップ。しかも同時に「コルディア」というクーペが設定され、マーケティングにおいては相乗効果で販売が伸びる予測もあったはず。 スタイリングは、内外装ともに直線基調。線が整理されていてクリーンで、それにクッションの厚いシートが組み合わされるなど、快適性もしっかり追求されていた。 ただし、販売は不振をきわめた。この時代の競合といえば、ホンダ「クイントインテグラ」(1985年)、同2代目「アコード」(1981年)と3代目「アコード」(1985年)、マツダの「ファミリア」(1985年)と、手ごわいモデルが多かった。 トヨタの5代目「カローラ/スプリンター」(1983年)や3代目「カリーナ」(1981年)、日産の5代目「サニー」(1981年)や6代目「サニー」(1985年)、さらに「パルサー」(2代目は1982年、3代目は1986年)など、どれもバリエーションが豊富。三菱に対して圧倒的に強力な販売ネットワークも大きな武器だった。 トレディアは“迷車”とは言わないまでも、三菱自の顧客はサイズでセダン選びわけるほど、数が多くはなかったということではないか? いわゆる金太郎飴戦略も、時と場合によるのだ。残念だった。