「核のタブー形成に大きな役割」 日本被団協、ノーベル平和賞演説
被爆者の立場から核兵器廃絶を国内外に訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式が10日、ノルウェーのオスロ市庁舎で始まった。 【写真で見る】ノーベル平和賞 授賞式に臨む日本被団協の代表者ち 日本被団協を代表し、長崎で被爆して親族5人を亡くした田中熙巳(てるみ)代表委員(92)が受賞演説に臨み、日本被団協の運動について「『核のタブー』の形成に大きな役割を果たしたことは間違いない」と述べた。 そのうえで、「今日、依然として1万2000発の核弾頭が地球上に存在し、4000発が即座に発射可能に配備されている」と指摘。ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区へのイスラエルの攻撃に触れ、「市民の犠牲に加えて『核のタブー』が崩されようとしていることに限りない口惜しさと怒りを覚える」と訴えた。 授賞式には、約30人で構成される日本被団協の代表団などが出席。代表団は、被団協役員を務める広島、長崎原爆被害者のほか、韓国やブラジルに住む被爆者らも含まれる。 広島の箕牧智之(みまきとしゆき)さん(82)と長崎の田中重光さん(84)の代表委員2人が代表してメダルと賞状を受け取った後、田中熙巳さんが受賞演説のため登壇した。 日本の平和賞受賞は、非核三原則を表明した佐藤栄作元首相が1974年に選ばれて以来、50年ぶり2度目。【安徳祐(オスロ)、高木香奈】 ◇ノーベル平和賞受賞演説要旨 田中熙巳(てるみ)・日本被団協代表委員(92)の演説内容の要旨は次の通り。 【冒頭】 1956年8月に日本被団協を結成した。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害を繰り返すことがないようにと、運動してきた。 運動は「核タブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いない。しかし、ウクライナ戦争におけるロシアによる核の威嚇、パレスチナ自治区ガザ地区にイスラエルが執拗(しつよう)な攻撃を続ける中、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りない口惜しさと憤りを覚える。 【被爆体験】 私は長崎で、13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆した。一発の原子爆弾は身内5人を無残な姿に変え命を奪った。 そのとき目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまだった。戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと強く感じた。 【過去の運動と成果】 日本被団協は結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」と表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて立ちあがった。 1994年12月、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されたが死者への補償はなく、政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを続けている。 2016年4月、日本被団協の提案で世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がった。17年7月に122カ国の賛同を得て、「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びだ。 【未来への願い】 核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いだ。 原爆被害者の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれない。私たちの運動を、次の世代が工夫して築いていくことを期待している。 核兵器禁止条約のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指してほしい。核兵器国とそれらの同盟国の市民の中に、核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国政府の核政策を変えさせる力になるよう願っている。 人類が核兵器で自滅することのないように。核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張ろう。