紫式部の弟・惟規の死…SNSで広がる「ロス」の声 紫式部日記につづられた「お前が男だったら」の言葉
「男だったら」の呪い、まひろと惟規は…
水野:ちょっと気難しくてさまざまなことに思いをめぐらせてしまう姉まひろと、屈託がなくて明るい惟規。性格が全く違うふたりでしたよね。 たらればさん:紫式部は『紫式部日記』で、父・為時が惟規に漢文を教えている様子を横から聞いて、その漢文をすっかり覚えてしまい、父から「なんて残念なことだ。お前が男子ならばよかったのに」と言われたと記しています。 これって結構な「呪い」じゃないですか。兄弟より勉強ができたのに、「男だったら」と言われてしまうのって。紫式部が陰気な性格だったことや、それを形成する原因のひとつだとも言われています。 本来この呪いは惟規にも効いていたと思うんです。だって男の自分がいるのに実父が実姉に「おまえが男だったら」って、あんまりじゃないですか。立場がない。 ドラマでは、それを克服するため、父・為時に「おまえが女でよかった」と言わせて「陽」のエピソードに変換していますよね。この歴史改変(演出)には「惟規」というキャラクターが必要だったんだろうなと思いました。もしも紫式部の兄弟が「男の俺が俺が」と出しゃばる性格だったら、こうはならなかったわけですし。 水野:「都に帰りたい」という惟規の辞世の歌が胸に響きました。最後の文字が書けなかったというのは、実際にそうだったのでしょうか。 「都にも 恋しき人の 多かれば なほこのたびは いかむとぞ思ふ」 <たらればさん訳/都(京)に恋しい人がたくさんいるので、なんとかこの危機を乗り越えて帰りたい> たらればさん:『今昔物語集』だったと思うんですが、最後の「思ふ」の「ふ」が書けずに、父が書き足したと言われていますね。 亡くなったのがそれぐらい急だった、無念だった、というエピソードなんですよね。為時にとっては、妻を亡くしてからも大切に育てた、優秀で自慢の息子だったと思います。 水野:ドラマでは残した歌が都に届いていますが、父・為時が何度もそれを見て涙で濡らしてしまったため、失われてしまったというお話もあるそうですね。 それにしても…自分の子どもを看取らなきゃいけなかった為時もつらかったでしょうね…。 たらればさん:紫式部の人生を振り返ると、通説では身近な人がどんどん亡くなったと言われています。お姉さんがいたと言われていますが亡くなっていますし、幼い頃に母も、親しく付き合って「姉代わり」と呼んでいた幼馴染も、結婚したばかりの夫も、それに続いて弟まで亡くしたわけです。 『源氏物語』という作品は、光源氏の身近な誰かが亡くなることで物語が動いていきますし、「死」に関する解像度の高さが、『源氏物語』からも『紫式部集』の歌からも伝わってきます。 そこには、「悲しくてもつらくても、人は生きていくんだ」という哲学があると思います。 愛する人は突然死んでしまうことがあるし、この世でこんなに悲しいことはほかにないけれど、それでもやっぱりお腹はすくし、眠くなるし、朝は目が覚めるし…わたしは生きている…生かされている…、という無常観ですね。 水野:惟規の死をきっかけに、仲違いしていたまひろと、娘の賢子(かたこ)の距離が近づきましたよね。これにも泣けました。 惟規は本当に大事なキャラクターだったので…次回から誰に癒やしを求めれば……実資(ロバート秋山さん)でしょうか。 たらればさん:あ、実資はめっちゃ長生きするので、思う存分、推していただいて大丈夫です(笑)。