青山敏弘は引退セレモニーで「まだ終わっていない」と言った 広島に21年間捧げたバンディエラの確信
79分にピエロス・ソティリウのゴールが決まると、その瞬間はやってきた。 スタンドの目の前で黙々とアップを続けていた青山敏弘は、コーチの呼びかけに反応し、ベンチに向かって走り出した。そして見慣れた6番のユニホームに袖を通し、交代エリアで待機すると、歩み寄ってきた敵将と熱い抱擁を交わした。 【写真】高校サッカー選手権「歴代応援マネージャー」 2004年に岡山の作陽高からサンフレッチェ広島に加入したボランチは、21年間にわたってひとつのクラブで戦い続けた。栄光と挫折を繰り返した濃密な日々も、今シーズンをもって終焉を迎える。 2024年12月1日、今季より広島の新たな本拠地となったエディオンピースウイング広島で、紫のバンディエラはリーグ戦最後のホームゲームのピッチに立った。 対戦相手は、人生の恩師とも言えるミハイロ・ペトロヴィッチ監督が率いる北海道コンサドーレ札幌だった。2006年、プロ入り後にくすぶり続けていた青山の才能を見出し、日本を代表するプレーヤーに成長させたのが、ミシャこと、このペトロヴィッチ監督である。 「ミシャがいなければ、自分は存在してないと思いますし、ここまですばらしいキャリアを築けることはなかった。本当にミシャさんが恩人ですし、ミシャさんに認められるようにずっとプレーしてきた。ミシャの教えをここまで守ってきたつもりですし、最後に一緒に戦えたことは一生の思い出になる。 ミシャも喜んでくれていますし、自分も喜ばせていただいた。もしかしたら、ミシャも僕がいなければ、ここにいないかもしれない。それくらい 僕たちが作り上げたものっていうのは大きかったので。最後に、その感謝を伝えられてよかったです」 自身の最後を恩師の前で迎えられるのは、これ以上ない幸福だろう。そしてこれはサッカーの神様が導いた運命である。 神様だけではない。チームメイトたちも青山のために力を注いだ。 青山のラストマッチであると同時に、この札幌戦は逆転優勝への望みをつなぐための試合だった。敗れれば可能性が潰える一戦に、感傷的な空気は仇(あだ)となりかねない。 それでも広島の選手たちは、勝利のためだけではなく、青山のためにも戦っているように見えた。多くの得点を奪い、ベンチに控える偉大な先輩を少しでも長くピッチに立たせたかったのだ。