追悼。山本KID氏が語っていた戦う理由と「キャラじゃない」写真ポーズ拒否
格闘家の山本KID徳郁氏(41)が、18日に死去した。山本氏が主宰する「KRAZY BEE」の公式ツイッターで明らかにされた。山本氏は8月下旬に自身のインスタでがんの闘病中であることを公表。グアムで闘病生活を送っていたと聞くが、あまりに早い英雄の死だった。 「神の子」と呼ばれた。 ミュンヘン五輪のレスリングでほとんど悲劇的な疑惑判定で敗れた父の郁栄氏を神と尊敬し、「神(父)の子だから」と「ただのノリで言った」言葉が、彼の殺戮のファイトスタイルに重なり代名詞となる。 シドニー五輪のレスリング代表選考会で敗れてから総合格闘技に出会い、修斗でデビュー。その後、立ち技のK-1、総合のHERO'S、DREAMと舞台を変えながら、2011年からは、世界最高峰の総合格闘技「UFC」に参戦している。2007年には一時、レスリングに復帰、北京五輪を目指した。 総合ルールでは、ホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気というトップファイターにKO勝利。特に衝撃的だったのは、2006年5月にHERO'Sミドル級トーナメントの開幕戦で戦ったシドニー五輪レスリング代表の宮田和幸との試合だ。ゴングと同時にダッシュして飛び上がり左の膝蹴りを一閃。まるで劇画のような、わずか4秒でのKO勝利。宮田は顎を骨折した。K-1ルールでは、魔裟斗と対戦して、判定負けを喫するが、カウンターのフックでダウンを奪うなど見せ場を作った。だが、UFCに乗り込んでからは、相次ぐ練習中の怪我に悩まされ、結果を残せなかった。 筆者は、何度か生前の山本氏に取材する機会に恵まれた。10年以上も前に、1度だけ、たった30分間だったが、ホテルの一室で独占インタビューをしたことがあった。 ーーあなたに怖いものはあるんですか? そんな不躾な質問に彼は「独り…独りになるのが嫌」と言った。 「お化けや、幽霊、暗いところも嫌だしね」 笑いながら、とても似つかわしくない反応をしたKIDは、こう本音を吐露した。 「独りは、なんかつまんないし、仲間といたほうが落ち着く。誰かが傍にいればね」 それが狂気のファイターの戦う理由だったのかもしれない。 一度の離婚はあったが、いつもKIDの周りには愛する家族と仲間たちがいた。 全身を覆うほどに増え続けたタトゥーも入れ始めたきっかけは「仲間がしていて、じゃあ、俺もって」というもの。当時は、二の腕に獲物を狙う虎のような幾何学模様を彫りこみ、見事に割れた腹筋には、首をもたげた蛇が、まだ完成途中だった。 「これ以上増やすなとテレビ的に文句があってね」と、苦笑いしていたが、その後もタトゥーは増え続けた。 本来、タトゥーとは部族の絆の証であり、恐れから身を守る信仰的な意味あいがあった。民族文化としてタトゥーを継承した部族は、彫られた動物の本能や能力を継承するように願ったとも言われている。 「俺のタトゥーのひとつひとつに意味があるから」 それは彼の格闘家としてのイデオロギーの象徴でもあった。 2015年大晦日の企画で魔裟斗とエキシビションマッチを戦ったとき、増え続けたタトゥーが、放映局のコンプライアンスに抵触するためTシャツを着ていた。テレビよりも仲間。それが彼の生き様だった。