追悼。山本KID氏が語っていた戦う理由と「キャラじゃない」写真ポーズ拒否
――対戦相手を怖いと思うことはあるのですか? 筆者が恐怖について聞くと、彼は「相手に対して怖いというより、怖いのは自分自身の体調であったり、試合でのミスだったりね。もう自信があるから。自分のコンディションさえベストなら何が来ても怖くない」 だから彼は自らを「神の子」と称した。 この言葉を裏付けるように、その後、UFCに戦いの場を移した彼は、何度も怪我で試合の延期があり、ベストな状態でケージには入れなかった。 モハメド・アリを尊敬していた。「ザ・グレーテスト」。「われこそ偉大だ」の生き方に憧れた。 独占インタビューをしたとき、彼の総合転向の理由についても聞いた。 フリースタイル58キロ級のシドニー五輪代表選考会では、決勝戦に進んだが、第1ラウンドにリードしながらもスタミナが切れて負けた。最強とは何か? 追い求めた末に総合格闘技にいきついた。 「いくら相手をボコボコにしてもレスリングは『はい、起きて、もう一度』の世界。でも、総合は、ばーっといってノックアウトして試合が終わる。『もう1回やり直し』はないから。ノックアウトすれば終わり」 白黒がわかりやすい決着が肌に合った。だが、天性の格闘遺伝子が備わっている悲しい性なのか。 「没頭して、人より2、3倍練習したら、すぐ追い越しちゃって」 すぐに戦う相手がいなくなった。 あの400戦無敗のヒクソン・グレイシーに対してさえ「たいしたことはない」と吐き捨てていた。 最強を求めるKIDは、再びレスリングの世界に舞い戻った。北京五輪に挑戦したのである。筆者には、「レスリングはやりたくなったら、またやる。ガキのころから根付いている。もし、この年齢からでもライセンスがとれるならボクシングにも挑戦したい」とも語っていた。 忘れられないのは、この独占インタビューの最後の数分間の出来事である。写真撮影をすることになり、グラビア系のカメラマンが、「ファイティングポーズをお願いします!カメラに向かって吼えてもらえませんか?」と注文をつけると「それ俺のキャラと違うから」と、ポーズを取ることを拒否された。 場が凍りついた。 誰にも媚びない。何のポーズも撮らずにシャッターは押させてくれたが、何百人とインタビューしてきた筆者が、あとにもさきにも、戦慄を覚えたのは、この一度きり。KIDは、生涯格闘家だった。 彼に最後に話を聞いたのは、2年前。姉の山本美憂の総合格闘家転身、「RIZIN」出場の記者会見だった。トレーナー役を買って出ていたKIDも会見に顔を見せた。当初、姉の総合転向に反対したが、「本人のやる気、楽しそうにしているのがわかったので1分で賛成した」という。 「筋力はあるし体力、フィジカルは問題はない。レスリングは組み技だから寝技は覚えやすいので、あとはカラダの使い方と打撃だけ。(打撃を見切る)目と、殴られることの経験が必要で、2か月の準備期間は短いが、アーセンは、3か月で習得できた。上達できると思う」 そう語る弟の口調は、筆者が10年以上前に1対1で対峙したKIDのそれとは明らかに違っていた。とても優しく丸くなっていた。人生の酸い甘いを知り、後継者の育成に熱を入れていたKIDが、この先、どんな格闘人生を描いていたのかは、わからない。不世出の格闘家は、こんなにも若くして天国へ旅立った。だが、KIDは、あれだけ怖がっていた「独り」ではなかったのだと思う。 合掌―――。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)