平成の日本政治とは?(3)小沢氏めぐる愛憎劇に飲み込まれた30年
福田系の首相が22年ぶり誕生、田中系支配から転換
自社さ連立で政権に復帰した自民党は、その後も自自、自自公、自公保、自公と連立を続け、その間に首相の顔は目まぐるしく変わる。米国のクリントン大統領の8年間の在任中、日本の首相は7人を数え、クリントンが最後に相手をしたのは森喜朗首相だった。
森は急死した小渕恵三の後継となる。しかし「密室の談合」で選ばれたと批判された。そのため就任当初から人気がなく、しかも「日本は神の国」「無党派は選挙で寝ていてくれたる方が良い」など失言も多く、内閣支持率は就任直後を除いて常に不支持が支持を上回った。 日本の高校生が乗る練習船がハワイ沖で米国の潜水艦と衝突し水没した「えひめ丸事件」(2001年)で、一報が入ってもゴルフをやめなかったことから内閣支持率は一桁になる。森も就任から1年という短期で首相を辞めた。 しかし田中角栄の流れをくむ政治家が力を持つ自民党で、森は福田赳夫以来22年ぶりに首相になった福田系の政治家である。それが現在の安倍晋三に至るまで、その後の自民党を支配する。そのため、森はその後の政権にも影響力を持ち続けた。 次の首相になる小泉純一郎は、森の不人気の反動で爆発的な人気を獲得する。冷戦後の日本政治は「55年体制」に代わる新たな構図を見つけられず、暗いトンネルに入ったまま国民には閉塞感が蔓延していた。そこに「変人」が現れ、空前絶後のパフォーマンスで国民の閉塞感を一気に吹き飛ばす効果を発揮した。
--------------------------------- ■田中良紹(たなか・よしつぐ) ジャーナリスト。TBSでドキュメンタリー・ディレクターや放送記者を務め、ロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材する。1990年に米国の政治専門 チャンネルC-SPANの配給権を取得してTBSを退職、(株)シー・ネットを設立する。米国議会情報を基にテレビ番組を制作する一方、日本の国会に委員会審議の映像公開を提案、98年からCSで「国会テレビ」を放送する。現在は「田中塾」で政治の読み方を講義。またブログ「国会探検」や「フーテン老人世直し録」をヤフーに執筆中