三上博史さんの愛車遍歴に迫る!!! 『私をスキーに連れてって』の思い出と意外な趣味とは
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第29回の後編。俳優の三上博史さんが長年所有していたマセラティに迫る。 【写真を見る】三上博史さんの愛車遍歴の詳細はこちら!!!
マセラティとの出会い
10年以上も連れ添ったヴァンデン・プラ プリンセスとの別れは突然やって来た。 「それまで直しながら乗っていましたが、ついにぶっ壊れたんです、完膚なきまでに。壊れなかったらずっと乗っていたと思うんですが、修理不能ということで、あきらめました」 クルマのない生活を送っていたある日、三上さんが懇意にしていたスタイリストの直井政信さんが、とあるクルマで撮影現場に現れた。 「それが、マセラティ『スパイダーザガート』です。ボディは真っ黒、内装はベージュのレザーとバックスキンを組み合わせたやつです。直井さんは、四方義朗さん(ファッションプロデューサー)が個人輸入したスパイダーザガートを譲り受けたんですが、それを売りたいとおっしゃって、僕が『乗る、乗る!』と、手を上げたんです」 1984年のトリノショーで発表されたマセラティの「ビトゥルボ 2.8i スパイダー」は、同社のビトゥルボをベースに、カロッツェリア(デザイン工房)のザガートがオープンボディに仕立てたスペシャルな1台。排気量2.8ℓのV型ツインターボエンジンの最高出力は250psとパワフルで、美しき野獣とも言うべきモデルだった。一般的に呼ばれる “スパイダーザガート”は通称だ。 「めっちゃ気持ちがいいクルマでしたね。TBSの緑山スタジオで明け方の4時とか5時に撮影が終わると、裏道を抜けて東名高速の川崎インターに出るんです。そこから都心に向かってアクセルを踏み込んだ時の気持ちよさは、いまでも忘れられません」 ところが、直井さんから譲り受けたスパイダーザガートは、わずか1カ月で不慮の事故で全損になってしまう。そこで三上さんは、まったくおなじ仕様のスパイダーザガートを、今度は新車で手に入れた。 「このタイミングだともう正規輸入されていたので、ガレーヂ伊太利屋で買いました。メンテも、ずっとよくしてもらいましたね。当時、周囲の人から『壊れないの?』ってよく聞かれたんですが、覚えている限り、一度も大きなトラブルはありませんでした。僕は乗りっぱなしでヘンな音が聞こえるとメンテに持ち込むぐらいだったので、きっとディーラーが丁寧に調整してくれたんだと思います。一度ならず“このクルマに似合う”と、言われたこともあるので、相性っていうのもあるかもしれない」 ただし1980年代後半から1990年代の三上さんは超多忙期。スパイダーザガートはほとんど“通勤用”で、プライベートで乗った記憶はほとんどないという。 「当時は、ひとつのプロジェクトが終わると、打ち上げにも出ないでそのまま成田空港に直行して、その場でチケットを買って海外に行っていました。だからプロパーでチケットを買っていましたよ。面が割れちゃうとなにもできないので、オフのときはほとんど日本にはいませんでした」 海外で暮らし、仕事のときに日本に戻ってくるという生活スタイルを送っていた三上さんであるけれど、海外を転々とするわけではなく、ひとつの場所に腰を落ち着けていたという。 「クルマも家もおなじなんですが、変化を楽しむということがなくて、ひとつのものをしゃぶり尽くすのが好き、みたいなところがあります。だから海外でもアパートを借りて、日本の仕事が終わったらまたそのアパートに戻る、ということを繰り返していました。そういう過ごし方だから、一箇所が長いですよ。パリが7年、ニューヨークが7年、カリフォルニアも7年でロンドンが3年とか。基本、メンドくさがり屋なんですね(笑)」