ユースに落ちて…心境一変「プロになれていないかも」 分岐点になった10代の「もしあの時」【インタビュー】
元日本代表FW大津氏が語る高校サッカー時代
クラブユースか、高校サッカーか。今後の成長曲線に大きく影響する10代後半の時期、どの環境に身を置くべきか悩む高校生もいるだろう。ユースはかつて誰しもが目指すレールで、昇格できなかった選手が高校サッカーの進路へと”軌道修正”していたのに対し、現在はそういった構図に変化が生じている。高校生で全国の舞台に立った経験を持つ元日本代表FW大津祐樹氏は「ユースに昇格できていたら、もしかしたらプロになれていないんじゃないか」と当時を振り返っている。(取材・文=城福達也) 【動画】17歳高校生が「ベルカンプみたい」 相手の3人包囲網を打開した圧巻ゴールの瞬間 ◇ ◇ ◇ 成立学園(東京)出身の大津氏は、2005年に行われた第84回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。1回戦で作陽(岡山)に1-2で競り負けたが、全国の舞台を経験した。いまや選手権は、開催時期に連日のようにテレビやメディアに取り上げられ、日本中から注目されるスポーツ界屈指のトピックとなっている。 「(選手権は)とにかくブランディングが素晴らしい。あの舞台に立つために、という目標設定も上手く設計できている。僕の世代は、高校サッカーに初めから行きたいという人は少数派で、ほとんどがユースを目指して、入ることが叶わず、高校サッカーでのプレーという感じだったと思うが、今となってはやはり高校サッカーの注目度が違うので、そこの市場感は大きく変化している」 高校サッカーという”表舞台”は、選手にとって貴重な経験となることは間違いない。ただ、重要なのはピッチ上の物語だけではない。「もしあの時、ユースに昇格できていたら、もしかしたらプロになれていないかも、と思ったりしている」。大津氏は、ユースに落ちて高校サッカーに行き着いた”舞台裏”に価値を見出していた。 「高校サッカーを経験したことよりも、挫折をした経験が大切だった。僕自身もユースに昇格できなかった立場。ということは、ユースの選手たちよりも努力しないと、超えることはできない。それを常に意識した環境にいた。目標を達成できなかった時に努力する強さを身に付けられたのは、挫折があったからこそ。これは育成面でも非常に大切なポイントだと思う」 同僚たちも、ユースに落選した者ばかりだった。「だからこそ、皆口揃えて言っていた。『あいつらよりも強くなってやる』」。誰一人として練習で気を抜くような選手もおらず、全員が必ず上手くなって這い上がると強い信念を抱いてサッカーに取り組んだ。「そういった環境こそが、リバウンドメンタリティーを鍛える成長の後押しになった」。 高校卒業後に柏レイソルでプロキャリアをスタートさせた大津氏は、海外挑戦を経て、2012年開催のロンドン五輪では最多3得点を記録し、ベスト4進出の立役者となった。昨年には負傷がきっかけで、33歳という若さで現役を引退することになったが、現在は株式会社ASSISTの代表取締役社長として新たなスタートを切っている。 目標が未達成に終わったあと、改めて目標を設定し直し、そこに向かって行く”再起力”はスポーツ用語でいえば「リバウンドメンタリティー」だが、ビジネス用語でも「レジリエンス」と呼ばれる。スポーツ業界に限らず、我々が過ごす一般社会でも非常に重要な能力と言える。