おびただしい数の死体が浮かんだ―― まぼろしの空母「信濃」、なかったことにされた沈没 #戦争の記憶
「なかったこと」にされた信濃沈没の事実
蟻坂さんを含む約1000人が一命を取り留めたが、分かっているだけでも1400人あまりが命を落としたという。膨大な予算をかけて建造した空母が、何の戦果も上げないまま、無数の尊い命と共に海へ消え去った。蟻坂さんたちは、その後、広島県の離れ小島に移送された。そして、軍の幹部から、今回の事件について、さらには信濃の存在についても「他言してはならない」と厳しく命じられたという。そもそも信濃は秘密裏に建造され、秘密裏に出港しており、その存在を知る人は多くはなかった。命令が下った理由について、蟻坂さんは険しい表情で言及した。 「信濃だけは戦争で何もしていないから。何もしないで沈んでいるので海軍上層部にすれば恥部。『なかったこと』にしようという力が働いた。信濃がまぼろしの空母となってしまった要因がそこにある。本当に何人死んだかというのは誰もわからなくなってしまった」。 軍国主義の中で育った少年がぶちあたった、戦争がもたらす卑劣な現実だった。犠牲者を弔うどころか、その事実すら歴史から消そうとしたことに、蟻坂さんは大きな怒りを抱いている。ただ、蟻坂さんは、ずっとこのことを言えずに生きてきたという。
死ぬまで語る「絶対に戦争はしてはいけない」
終戦後、蟻坂さんは故郷の宮城県に戻り、身に付けた通信技術を生かし逓信省や電電公社などに勤めた。物資がない日本で生活するだけでも苦労の連続だったが、戦後の復興は少しずつ進み、高度経済成長期などを経て、日本も豊かさを手に入れるようになる。しかし、蟻坂さんにはずっと心のとげが刺さったままだった。そして、10数年前、信濃でのことを自らの言葉で語り始めた。 「ずっと脳裏から離れないものが信濃での体験だった。亡くなった仲間たち、そして信濃の歴史をまぼろしのままにしてはいけない。まさに不条理というべきことだと思います。一番悪いのは亡くなった人たちまで歴史から消されてしまったのだから」。 蟻坂さんは時間の許す限りメディアなどを通して、自分の体験を詳細に語る活動を今も続けている。そして、最後に強い口調でこう訴えている。 「体験していない人が戦争について考えることは難しいことだと思うが、戦争は絶対にやってはいけない。罪のない、関係のない人も殺してしまうから」。 信濃や戦争の体験について語れるのも「あと数年かな」と、柔和な笑み浮かべた。蟻坂さんは、この8月で96歳となる。