たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 後編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち
フォード・マスタング・マクラーレンM81(1980年)
マスタングの「良き相棒」といえばシェルビーだが、1980年にフォードが手を組んだのはマクラーレンだった。マクラーレンの米国支社を通じて専門知識を吸収し、フォード製2.3Lエンジンのターボチャージャー版を開発、最高出力190psを発生した。しかし、市販車では排ガス規制をクリアするため132psに抑えられ、0-97km/h加速は9.8秒、最高速度は150km/hにとどまる。 M81はマクラーレンのトレードマークであるオレンジカラーで仕上げられ、大型化したフェンダーに合わせてボンネットも大きく膨らんだ。サスペンションも改良され、室内にはレカロのスポーツシート、スチュワート・ワーナー製メーター、専用デザインのステアリングホイールが装備されている。 しかし、フォードが並行開発していたマスタングSVOモデルに資金を振り向けたため、249台生産の計画がわずか10台で終わってしまった。現在でも時折オークションに出品され、10万ドル近い価格で取引されている。
フォードRS200(1984年)
フォードRS200は、世界ラリー選手権(WRC)のステージ以外では稀有な存在であり、米国では1984年のわずか1年間しか販売されなかった。グループBラリーのレギュレーションを満たすために作られた特注車として、四輪駆動、ミドエンジンのハンドリングバランス、ベーシックグレードで250psのパワーを備えている。公道で使うにはあまりにも驚異的なクルマだ。 車重わずか2596ポンド(1180kg)で、0-97km/h加速は5.0秒。モータースポーツ仕様は350psから500psを発生し、猛烈な加速を見せたが、ベーシックグレードでさえ公道を走るどのクルマよりも速かった。200台生産されたうち、24台は後にルーフに冷却用インテークを備えたエボ(Evo)仕様にアップグレードされている。
日産アクセス(1990年)
日産はフォードと組み、1990年代を見据えたモダンで広いミニバンを開発していたが、プロジェクトが完了する前にいち早く日本から2代目プレーリーを持ち込み、アクセス(Axxess)という名で発売した。ライバルのクライスラーから市場シェアを奪おうとしたが、この計画は失敗に終わった。 アクセスは米国人にとって小さすぎ、ファミリーカーを求める消費者の嗜好には合わなかったのだ。米国では1990年のモデルイヤーのみ販売され、1992年にはフォードと共同開発した新型クエストが登場し、席を譲っている。現在、アクセスは米国の路上から姿を消してしまっているようだ。