なぜ獲ったの…。横浜F・マリノス、謎すぎた歴代外国人選手(4)一体なぜ? 欧州で活躍も日本でダメダメだった男
1993年に開幕したJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。見事な活躍をしてクラブの目標達成や発展に貢献した助っ人がいるが、期待に応えられず、ほとんどピッチに立つことなく日本を去った選手も少なくない。今回は、横浜F・マリノスで活躍できなかった外国籍選手を紹介する。※成績は横浜F・マリノス在籍時のもの。
FW:マルセロ・リパティン(ウルグアイ) 生年月日:1977年1月28日 在籍期間:2001年1月~同年12月 Jリーグ成績:1試合0得点 マルセロ・リパティンは2001シーズンに横浜F・マリノスに加入した助っ人だが、全くファンの印象には残らなかった。 ウルグアイ人のリパティンは、パリ・サンジェルマン(PSG)の下部組織で育ったFWで、2001年に加入した横浜F・マリノスでは背番号7を身につけた。ウルグアイの世代別代表でアルベロ・レコバとコンビだったという触れ込みでやってきたが、5月12日のアビスパ福岡戦でデビューしたのを最後に、横浜F・マリノスの選手としてピッチに立つことはなかった。 その後のキャリアでは、2002/03シーズンにメキシコのクラブ・アメリカでリーグ戦で11得点を挙げており、2006/07シーズンにはポルトガルのマリティモで7得点を記録した。ヨーロッパで一定の実績を残したと言えるだけに、横浜F・マリノスでなぜうまくいかなかったのかが、なおさら謎を深めている。
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