笑福亭仁鶴さん死去、桂文枝ら追悼コメント 弟子の仁智「上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニア」
吉本興業は20日、落語家の笑福亭仁鶴さん(本名・岡本武士さん)が骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で17日に死去したと発表した。84歳だった。仁鶴さんの訃報を受け、落語家の桂文枝やタレントの西川きよし、中田カウス、弟子の笑福亭仁智が追悼コメントを発表。仁智は「上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニア」と述べた。
桂文枝「共演をさせていただき思い出はつきません」
桂文枝は「突然の急逝の報に接し大変驚いて、動転致しております。私が学生の頃から親しくしていただき、吉本興業に入ってからも色々とご指導いただきました。テレビ番組もたくさんご一緒させていただきました。映画『男三匹やったるでぇ!』で共演をさせていただき、思い出はつきません。全く突然の悲報で私自身心の整理もつきません。心よりご冥福をお祈りするとともに、ご生前のご厚情に心より感謝致します。どうか、どうか、安らかにお眠りくださいませ。本当にお世話になりました。ありがとうございました。いまはそれしか言葉が見つかりません」とコメントを寄せた。
西川きよし「ついに追い越すことはできませんでした」
西川きよしは「ラジオでは機関銃のようにしゃべり、テレビでは爆笑に次ぐ爆笑。そして劇場では天井がぬけるほどの笑いの波、その後、やすしきよしが出るのです。いつも相棒と仁鶴さんに追いつけ追い越せで頑張ってまいりましたが、ついに追い越すことはできませんでした」とコメントを発表。 また「仁鶴さんの時からです。ヘリコプターやセスナ機で仕事をかけもちするようになったのは。四角い仁鶴さんがまるくかわいい隆子姫(奥様)にもうすぐお会いできますね。本当におつかれさまでございました。ごゆっくりお休みください。ご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。
中田カウス「万博よりも人気があったすごい人でした」
中田カウスは「1970年の大阪万博の現場では何度もご一緒しましたが、仁鶴師匠の回りにはいつも人だかりができ、万博よりも人気があったすごい人でした。劇場の出番が終わると、深夜ラジオ番組やご自宅に伺ってはたくさんのことを学ばせていただきました」とコメントを発表。 「夫婦そろってヨーロッパ旅行にご一緒させてもらうなど、若い頃から、本当にかわいがっていただきました。今日まで、泣き言を言うことも、お酒で崩れることも一切みせたことがなく、『笑福亭仁鶴』という看板をずっと大事にされていたことと思います。見事な仕舞い方だったと思います。本当にお疲れ様でした」と思い出を振り返った。
弟子の仁智「上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニア」
また、仁鶴さんの弟子で、上方落語協会会長の笑福亭仁智は「亡くなる2日前に、2時間色々なお話をしたばかりなので、びっくりしました。上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニアであり、功労者。弟子として少しでもその芸を継承し、功績を顕彰して行きたい。まだまだ、相談したいことがあったので、悔しいです。今はゆっくり休んでいただきたいです」とコメントを発表した。