青い芝の魔力を追って
空を飛べない自分に悩まない
やたらに時間はかかってしまったが、ではなぜ私は彼らから離れることができなかったのだろうか? それは彼らが持つ魔力であるように思う。その怪しい力の一つが、常人にない発想である。 和歌山センター闘争や川崎バスジャックに参加した広島青い芝の松本孝信に取材した時のことである。松本は以前は自転車に乗り、センター闘争では、自らバリケードを築き、仲間を針金で縛れるほどの“動ける障害者”であった。その後、障害が重度・複合化し、今は屋内ではベッド、屋外では寝台型の車イスを使用する“寝たきりの人”となっている。 徐々に動けなくなった体をどう考えているのか。私は彼に問うた。真冬であるにもかかわらず浴衣姿の松本は、ベッドの上でこう語った。 「鳥は空を飛べるわな。そやけど、わしが空を飛ばれへんからいうて困るか?困らへんやろ。ほなわしも、健全者がええとは思わへんやん」 空を飛ぶ鳥を見て、なぜ自分は飛べないのかと迷わないように、松本はできないこと、できなくなることについて、あれこれと思い悩まないというのである。その言葉を負け惜しみで言っているわけではないことは、彼を含めた青い芝の取材を続けてきた私に疑う余地はなかった。 障害のあるなしにかかわらず、どんな情況になろうとも、もっとも強いのは、このような思想を持つ人間ではないかと私は思う。彼もまた“あるがままの生”を受け入れることができる数少ない最後の障害者の一人であった。 その松本から、最初に取材した日の数日後に電話があった。今度、大阪に行く用事があるんやけど、ヘルパーが見つからんのであんたに頼まれへんか、という用件だった。一度会っただけで介護を頼む松本の極太の神経に私は嬉しくなり、すぐに応諾した。後にヘルパーが見つかり、介護する機会は失われたが、どんな手段を使ってでも他人の手を煩わす障害者は、ここにもいた。
岸壁を離れる船に「まだ間に合う!」
あるがままの生を受け入れる柔軟かつ強靭な精神力に加え、彼ら青い芝の中心メンバーに共通するのは行動力である。私は福永年久と接して、この男の並はずれたそれに驚愕したことが幾度かあった。 93年に福永、澤田と韓国を訪れたことは本書の中で触れた。出発日を1日遅く勘違いしていた私のせいで、一行は出航地の山口県下関港にギリギリの時間で着いた。急いで手続きを済ませ、フェリーに乗り込むべく、二台の車イスは岸壁を突っ走った。しかしタラップはすでに取り払われ、船はすでに岸壁を離れつつあった――。その時、福永が船を指さしながら、叫んだ。 「行けー!まだ間に合う!行けーーーーーー!!」 私は耳を疑った。間に合うって、船はもう岸壁を離れてるやんか! 無論、乗船はできなかったのだが、不可能を可能と信じ、周囲を巻き込む福永の底なしの恐ろしさを、その時に痛感したのだった。 2007年には、神奈川青い芝の横田弘ら3人の脳性マヒ者を福永自らがインタビューした映像記録『こんちくしょう』が完成した。自立第一世代の苦労話を若い障害者に見せたいという福永の思いつきから制作されたもので、私もスタッフの一人としてかかわった。 取材対象の三人のうちの一人は、80歳近くの高齢者で、言語障害がある上に歯がないため、撮影した映像を見ても何をしゃべっているのか皆目わからない。インタビューした福永もわからないという。わからないまま、適当にあいづちをうっていたのである。しかし、わからないものはどうしようもない。仕方なくインタビューした本人に映像を送り、発言内容を確認してもらった。ところが当の本人も、自分が何をしゃべっているのかわからないという。聞き手も話し手も発言内容がわからないという事態に、最初は激怒していた私も、最後は笑ってしまった。最終的に話し手と付き合いの深い人物が解読することに成功したのだが、このような紆余曲折があっても、なんとか作品を完成させてしまうところが福永の不思議なところであった。 そんな周囲を巻き込む奇妙な魔力や発想・行動力が、元介護者の私に一冊の本を書かせたのだと今になって思う。