「外れ1位」で5球団競合から8年…現役ドラフト移籍で「復活の右腕」は
日本シリーズでも力投
紆余曲折を経て、日本シリーズのマウンドにたどり着いた。 DeNA・佐々木千隼が横浜スタジアムで開催された日本シリーズ第1戦の7回に四番手で救援登板。先頭打者の柳田悠岐を左飛に仕留めると、周東佑京に中前打を打たれたが、戸柱恭孝が二盗を阻止。続く今宮健太を左飛に打ち取り、無失点に抑えた。2戦目は得点圏に走者を背負った3回途中から救援登板し、甲斐拓也に右犠飛を打たれたが最少失点で切り抜けた。 【選手データ】佐々木千隼 プロフィール・通算成績・試合速報 昨オフに現役ドラフトでロッテから移籍。開幕は二軍で迎えたが、5月26日に一軍昇格すると与えられた役割で黙々とアウトを積み重ねた。最後までファームに降格することなく、28試合登板で0勝1敗1セーブ6ホールド、防御率1.95をマーク。「脱力投法」から投げ込まれる直球は140キロ前後だが、球速を追い求める時期は過ぎ去った。スライダー、フォーク、シンカーのコンビネーションでバットの芯をずらして打ち取る。老練な投球スタイルは、苦難の末に確立したものだった。
大きなモデルチェンジを決断
佐々木がプロのスカウトの評価を一気に高めたのが、桜美林大4年のときだった。首都大学野球リーグで、菅野智之(巨人)が東海大時代に記録した年間7完封を記録。「4年の春先まではプロのスカウトの方にもちらほら見に来てもらえるくらいで、自分がプロに入れるとか、想像もつかなかった。プロに行けるかもしれないと思ったのはドラフトの直前くらい。だからドラフト当日も不思議な気持ちで見ていました」と週刊ベースボールの取材で振り返っている。都立日野高のときは無名に近かった右腕が大学の4年間を経て、ドラフトの注目選手に。ドラフト1位で最初の1巡目は名前が呼ばれなかったが、「外れ1位」で史上最多の5球団が競合。ロッテが抽選で当たりクジを引き当てた。 即戦力のドラフト1位右腕に、スポットライトが当たる。急成長した右腕は環境の変化に気持ちが追いついていなかった。新人の春季キャンプで思うような球が投げられない。「自分が分からなくなってしまいました。フォームがむちゃくちゃになっていた。“佐々木ってこんなもんか?”と思われるんじゃないかという焦りもありました」。大学時代は最速153キロを計測した直球が、140キロ台前半に落ちた。 1年目は4勝を挙げたが、2年目は右肘関節鏡視下遊離体除去術を受けて一軍登板なし。その後も右肩のコンディション不良を発症して思い描いた球を投げられない。ここで大きなモデルチェンジを決断する。球のキレと制球力を重視して脱力した投球フォームに改良。大学時代の快速球を取り戻す考えを捨てた。21年に54試合登板で8勝1敗1セーブ26ホールド、防御率1.26と大活躍を見せる。チームはリーグ優勝にあと一歩及ばなかったが、勝利の方程式で不可欠な存在に。チーム内でMVP級の活躍だった。