落合博満37歳が怒り「巨人クロマティが年俸3億円ならオレも3億円だ」中日とまさかの“年俸調停”に「落合は波風立てて…」関係者は否定的
「クロマティが3億円ならオレも3億円だ」
「契約更改は年1回の個人経営者同士の戦いの場なんだ。自分達が持っているいい面を喋り、高く買ってもらいたいと思って何故、悪いんだろうか」(Number264号) 男は黙ってチームのために……が美徳とされた昭和の球界で、「オレを高く買ってくれるところにいく」なんて堂々と主張するトッププレーヤーの出現は事件だった。ロッテでの2年連続の三冠王を手土産に、1986年オフに1対4の大型トレードで中日ドラゴンズへ移籍した落合は、日本人選手で初めて年俸1億円を突破。四番打者として昭和最後のペナントレースとなった88年の星野中日のV1に貢献すると、平成元年の89年には3年ぶりに40本塁打の大台に乗せ、116打点でタイトルを獲得。90年シーズンは4位に終わった中日だったが、36歳の背番号6は衰え知らずのバットで史上初の両リーグ本塁打王(34本)に加え、打点王(102打点)、最高出塁率(・416)と3つの打撃タイトルに輝いた。 球界最高の打者・落合は、90年12月には37歳になったが、貪欲に「(巨人の)クロマティが3億円。その働きに自分も遜色はないはずだ」と1億2000万円アップの年俸3億円を希望する。 12月27日に第一回契約交渉が行なわれ、年明けにも球団側と話し合うが互いの主張は平行線を辿り、91年2月15日に落合が調停申請へ。2月20日には、キャンプ期間に沖縄で行われた選手会総会で、労組選手会の大竹憲治事務局長が年俸調停の支援を申し出るが、渦中の本人は「そっとしておいてほしい。これは個人の問題だから」と断った。結局、球団提示の2億2000万円で合意するが、「いいとか悪いとかは別さ。多くもらうにこしたことはなかったが、勝ったとか負けたとかの次元で見られるのがイヤだった。こうなれば結果を出すしかないでしょう。今は何を言っても別な方向になる。時期がくればわかってくれる人がいるはず。それでいいと思う」と落合は前を向いてみせた。 「週刊ベースボール」1991年3月25日号では、この年俸調停について12球団の選手会長や監督に意見を聞いている。「2億2000万円という金額自体、ピンとこない。ウチの主力、何人分だろ?」(広島・山崎隆造)、「金額があまりに大きいので、ボクたちのレベルではちょっと……」(近鉄・金村義明)なんて同じプロ野球選手でもほとんど別世界の出来事ととらえるコメントも多く、古巣・ロッテの金田正一監督のように、「昔のワシみたいに、もっと上手に金をもらわんと。これだけ波風立てて、何かペナルティーが科せられるかもな」と年俸調停をチームの和を乱す自分勝手な行動と見る向きもあった。
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