“映画館版Netflix”の破滅と再生 創業者のお手本は「すきやばし次郎」
2度目の挑戦で着目した「3つの変数」
こうした経緯もあり、スパイクス氏は当初はムービーパスの再生を考えていなかったという。転機となったのは新型コロナウイルスの大流行だ。感染予防のために長らく閉館を迫られた映画館は再開後も客の呼び戻しに苦戦しており、「ムービーパスの存在が助けになる」と考えた。映画関係者からも前向きな反応を得られ、22年秋にサービスの再開を決める。 もっとも、以前と同じやり方では失敗を繰り返すだけだ。そこで、映画館での視聴体験の価値を決める3つの変数に着目することにした。具体的には①公開日、②映画の種類、③日付・曜日・時間帯で、例えば、公開直後の週末に見る超大作と公開後12週たった平日に見るインディーズ映画では価値が異なるという考え方だ。 これを反映するため、新生ムービーパスでは月額料金に応じてユーザーに一定のクレジット(ポイント)を付与し、映画の種類や視聴時期によって消費するクレジット数を変える仕組みを導入した。試してみると、最新作『インサイド・ヘッド2』を週末の夜に見るには31クレジットが必要だが、公開からしばらくたった『フォールガイ』は26クレジットで済んだ。 「以前とは根本的に異なる仕組みだ。人工知能(AI)を用いてクレジットを適切に調整すれば、利用者にお得だと感じてもらいながら利益を出せる」と、スパイクス氏は言う。「人々の習慣と余暇時間をめぐる(他の娯楽との)戦いに挑むことができる」。23年に黒字化を達成できたのは、この仕組みがうまく機能し始めたためだという。 競合にも学んでいる。米国では数年前から、広告をつける代わりに料金を抑えた動画配信サービスを選ぶ人が増えた。そこでムービーパスでも、利用者がスマートフォンなどで広告を見ることで、映画視聴に使えるクレジットを得られるシステムの開発に着手した。「消費者に多様な選択肢を提供できれば、映画館の可能性はもっと広がる」(スパイクス氏) ●日本に学んだ、急拡大より質と持続性 新生ムービーパスは大々的な宣伝をしておらず、サービスが再開していることを知らない人も多い。この点について、スパイクス氏は「やみくもに加入者を増やすよりも、ビジネスの質と健全性を大切にしたい」と話す。自ら立ち上げた事業の崩壊を目の当たりにした過去の経験を踏まえ、ある映画で描かれた価値観を重視するようになったのだという。 その映画は、東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」を舞台にしたデビッド・ゲルブ監督のドキュメンタリー『二郎は鮨の夢を見る』(2011年)だ。店主の小野二郎氏や周囲の人たちに密着した同作では、食通たちを魅了するすしや、小野氏らの誠実な仕事ぶりがクラシック音楽とともに丁寧に描かれる。 10席ほどの小さな店で何十年にも渡って技を磨き続ける職人の生き様は、素早く大きく成長することが良しとされる米国のスタートアップ文化とは相容れないようにも見える。だが、スパイクス氏は急拡大を模索した以前のムービーパスの失敗を指摘する。すきやばし次郎はその対極とも言えるやり方で「世界から称賛と尊敬を集めている」(スパイクス氏) 「たとえ成長のペースが遅くても、並外れた質のものを継続して作ることが今の私にとっては重要だ。健全な経営基盤を築けば、べらぼうに稼ぐわけではなくても着実に成長していける」と、スパイクス氏は言う。日本の価値観に触発された同氏とムービーパスの第2章は、注目しておく価値がある。
佐藤 浩実