“映画館版Netflix”の破滅と再生 創業者のお手本は「すきやばし次郎」
月額10ドルを払えば、毎日映画館に行くことができる――。6年ほど前、こんなうたい文句を掲げて米国で大流行した「ムービーパス」をご存じだろうか。「映画館版Netflix(ネットフリックス)」と呼ばれ、2017~18年にかけて急速に拡大したサービスだ。会員に配られる赤いデビットカードが目印で、最盛期には映画ファンから時間に余裕のある高齢者まで300万人超が利用した。 【関連画像】月々の支払額に応じて一定のクレジットを付与。日時や映画により必要なクレジット数を変える仕組みに変えた(画像を一部加工しています) 筆者も例外ではなく、18年春に届いたばかりのカードを携えてSF映画『レディ・プレイヤー1』を見に行った。当時のチケット代は9ドル(当時の為替レートで約970円)だったので、月10ドルで事業として成立するのかいぶかしんだことを覚えている。結局カラクリはなく、現金燃焼に歯止めがかからなかったムービーパスは19年9月に事業を停止した。 数年前の話を持ち出したのは、運営企業の内幕を描いたドキュメンタリー映画『MoviePass, MovieCrash(ムービーパス、ムービークラッシュ)』の配信が24年5月末に始まったからだ。米動画配信サービス「Max(マックス)」で見られる同作は、劣悪な労働環境に困惑する従業員や利用者を襲ったトラブルなど、派手に見えた経営の裏で起きていた混乱をつづっている。 米紙ニューヨーク・タイムズは「ほとんど語られてこなかった物語を含んでいる」と作品を評した。例えば、当時ニュース番組に頻繁に出ていた米ネットフリックス出身の最高経営責任者(CEO)は創業者ではなかった。さらに、共同創業者の1人であるステイシー・スパイクス氏が破綻した会社の資産を21年に買い戻し、サービスを再開していることも驚きを誘った。23年には初の黒字化も果たしたという。 サブスクリプション(継続課金)ビジネスは日本でも多くの企業が試行錯誤を重ねている。そこで、スパイクス氏に2度の挑戦について詳しく聞いてみることにした。同氏は1990年代に米映画会社ミラマックスで副社長を務めるなど、エンターテインメント業界でキャリアを築いた人物だ。生粋の映画好きで、2011年に知人とともにムービーパスを設立した。 ●「映画鑑賞を習慣化する」 「一定の料金を払えば、いつでも映画を見られるようにしたかった」。スパイクス氏は当初の構想について、こう振り返る。10年代前半はネットフリックスの配信事業が成長し始めた時期でもあり「映画館版ネットフリックスというアイデアは若い世代に好まれた」。消費者にとって「毎月どれだけのお金が出ていくかを管理しやすくなる」のが利点だった。 映画館が抱える課題も解決できると見ていた。平日にほとんど空席のまま映画を上映している劇場は多く「20人しか乗客のいないボーイング747を飛ばしているような状況だった」(スパイクス氏)。SNSやゲームなど娯楽が多様化する中で、日常的に映画館を訪れる人も減っていた。一方でスパイクス氏には「映画館は最も身近な娯楽」との信念があり、来館を促すサブスクがあれば「映画鑑賞を習慣化できる」と考えた。 しかし、資金調達で苦労する。計画の甘さもあっただろうが、共同創業者が皆、有色人種であることが障壁となった。そこで、16年にネットフリックス出身のミッチ・ロウ氏を新たなCEOとして招へい。ロウ氏が表に出ることで、17年には米データ分析会社による過半出資を取り付けた。 ムービーパスが広く認知されるようになったのはこの頃からだ。月30~50ドルで販売していた映画見放題のサブスクを月10ドルに下げ、会員獲得を優先する戦略を推し進めた。映画祭などでの派手な広告宣伝にも力を入れた。しばらくの間は利益を犠牲にしてでも加入者を増やし、集めたユーザーデータなどを販売して収益につなげる算段だった。 実際、17年前半に2万人ほどだった会員数は、同年末に100万人を超えた。だが、スパイクス氏は「加入者だけは増えているが、ほかのすべてがうまくいっていない」と危機感を覚えたという。システム障害が頻発し、利用者の不満が目立ち始めていた。スポーツジムのような遊休会員は少なく、ムービーパスから映画館側への支払いも雪だるま式に膨らんでいった。「持続的ではなかった」 結局、懸念を指摘したスパイクス氏は「協力的でない」と見なされ、18年1月に解雇される。無謀な拡大戦略の果てのサービス終了は部外者として見届けることになった。