「人力車夫」の知られざる残酷史! いまやイケメン&1000万プレーヤー登場も、かつては日本近代化の餌食となっていた
人力車夫の厳しい現実
さて、この本は、さまざまな職業でなるべく楽をしてもうける方向性の記述が多い。あたかも現代における情報商材をほうふつとさせる。こうしたものを読んで、食い詰めた果てに人力車夫はもうかると考えた人も多かったのではないかと考えられる。 ただ、そうはうまくいかないのが世の常である。1903(明治36)年に出版された苦学子なる筆名の『自活苦学生』(大学館)は、苦学を志す若者に向けたガイドブックである。ここでも、人力車夫は学費を稼ぐ手段として取り上げられているが、その厳しい実情も記されている。 「労働中に於いて、蓋し人力車夫なるものは尤も過激の労働であろう、従ってこれに従事せんとするものは、余程の体力と余程の強壮を要するのはいうまでもない。(中略)十分の経験があるものなら、30銭40銭は容易ではあるが、之を新参のものにしては中々容易ではない」 「尤も過激の労働」という表現が、その過酷さを伝える。さらに、この本では駅前など客を拾いやすいところには“縄張り”があることも記しており、体力面以外でも過酷な職業であることを語っている。アプリ登場前の地方のタクシードライバーに似ているかもしれない。 結局のところ、そんな労働を選ぶ理由は、ほかにどうしようもなく……という消極的選択であった。
蔑視される人力車夫
1921(大正10)年に東京市社会局が行った「東京市内の細民に關する調査」では、生活困窮者への聞き取りが記録されている。その中には人力車夫に関するものもある。以下、引用してみよう。 「山崎某、人力車夫、39歳、月収30円内外。妻及13歳の長女の三人世帯なり、本人は岐阜県下に於いて染物業を営めるも火災に罹り家産を消失し、生計困難となりし為め出京し、一時労働に従事し後車夫に転業す、酒癖ありし為めその境遇を脱却し得ずして現在は脚気を病み稼業困難の為め収入少なく家賃3円20銭食費24円酒代等を支払うときは殆剰余を見ずと」 月収30円。1918年の大卒国家公務員初任給は70円。現在の一般職(大卒程度)は24万2640円である。現代に換算すると借家暮らしで月収10万円以下で家族3人の生計をたてていることになるだろう。いかに苦しい生活であるかがおのずと理解できる。 また、同調査では木賃宿(旅人に自炊させて泊めた宿屋)に対する調査も実施されており、人力車夫が代表的な木賃宿利用者のひとつとして挙げられている。特に麻布・四谷・本郷には多くの人力車夫が木賃宿に住んでいたという。これは、人力車夫の多くが安定した住居を持てないほど経済的に困窮していたことを示している。 労働や賃金面での厳しさに加えて、人力車夫に対する社会のまなざしは、蔑視を含むものだった。『自活苦学生』には、人力車夫を含む下層労働者に対する厳しい評価が記されている。 「彼等の労働しつつある所謂職業なるものは、新聞売にあらずんば人力車夫、人力車夫にあらずんば新聞配達、新聞配達にあらずんば又牛乳配達等にして、日々接しつつあるものは下層社会の無知なるもののみである。(中略)彼らが日々見分しつつある所のものは、かかる下層社会に於ける野卑淫猥なる言動のみで、之が為にはその言語によって感化を受け、之が為にはその行動によって刺激を受け、知らず知らずの間に、何時かそれ等の感化刺激によって堕落化し腐敗かし了るのである」 この記述は、人力車夫を含む下層労働者が「無知」で「野卑」な存在として認識されていたことを示している。さらに、そうした環境に身を置くことで人間が堕落していくという認識も示されており、人力車夫という職業そのものが社会的に望ましくないものとして捉えられていたことがわかる。